「みんなから応援される選手になりたい」 MGCファイナリスト第1号・前田穂南

日本陸上競技連盟

女子のMGCファイナリスト第1号の前田穂南(天満屋)にインタビュー 【写真は共同】

 2019年9月以降に実施される東京五輪男女マラソン代表選考会「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」出場権を懸けて、2017−2018シーズン、2018−2019シーズンの2期にわたって展開している「MGCシリーズ」。昨年8月27日の北海道マラソンからスタートしたファーストシーズン(2017−2018年)も残すところ女子の名古屋ウィメンズマラソン2018(3月11日)のみとなった。

 今回は、女子第1号MGCファイナリストとなった前田穂南(天満屋)にインタビュー。前田は、自身2度目のレースとなった北海道マラソンで2時間28分48秒の自己新記録で女子の部を制し、MGC出場権を獲得。1月28日には大阪国際女子マラソンに出場し、自己記録を一気に5分も縮める2時間23分48秒の好記録をマークして2位となった。インタビューは、大阪国際女子マラソンの翌日に実施。これまでの経過も振り返ってもらい、今後の展望を聞いた。

取材・構成:児玉育美(JAAFメディアチーム)

いろいろな挑戦ができた大阪 自己記録を5分更新

1月の大阪国際では積極的なレースを見せ日本人2位に入り、自己ベストも5分縮めた 【写真は共同】

――大阪国際女子マラソンでは、25キロで前に出るなど、積極的なレースが印象的でした。レースを振り返って、どう思いますか?

 MGCの資格を(すでに)取っているということで、いろいろと挑戦することができました。25キロを過ぎたところで飛び出して、勇気を出して走れたことは、一番の収穫だったかなと思いますし、大幅に自己ベストを更新することもできました。また、次への課題と感じたこともたくさんあるので、しっかりと強化していきたいと思います。

――満足はできている?

 悔しい気持ちもありますけど、今回のレースの目標とした2時間26分切りと自己ベスト更新は達成できたので、そこはうれしいです。

――そもそも北海道マラソンを終えて、次のレースを大阪にしようと決めたのは、どういう経緯からだったのですか?

 レースの計画は、いつも年間で立てています。なので、北海道に出て、次は大阪というのは決まっていました。

――2時間26分切りを目標にしていたということですが、「こういうレースがしたい」とか、「こういう展開にしたい」とか、自分のなかで想定していたことはあったのでしょうか?

(天満屋の武冨豊)監督に、25キロで出るように言われる前は、30キロまではペースメーカーについて走って、後半どれくらい余力をもって勝負できるかというレースになることを考えていました。

――監督は、なぜ25キロから出ることを指示されたのでしょうか?

 世界と戦おうと思ったら、最初から仕掛けていくこともやっておかないと、今後のためにならないと言われて……。

――とはいえ、勇気のいることですよね。レース後の会見では、「あまり深く考えずに行った」とおっしゃっていましたが、監督からそう言われた瞬間は、戸惑いや不安の思いと、「やってみよう」という思いと、どちらが強かったのですか?

「元気だったら出てみよう」という気持ちでした。

――北海道マラソンのときは、25キロの段階でけっこうきつかったとのこと。そのときと比べて、今回の状態は違っていた?

 違いましたね。もちろん北海道のときとは気候も違うし、北海道はペースメーカーもいなかったというのもありますが、今回は、ペースメーカーがレースをうまく引っ張ってくれたこともあって、前半、落ち着いてリラックスして走れました。北海道のときより楽だったし、うまく走ることができたと思います。

――北海道マラソンや、初マラソンだった昨年の大阪国際女子マラソン(2時間32分19秒)のときと比べて、自分で「強くなったな」と実感した点はありましたか?

 準備の段階で、質の高い練習ができていました。マラソン前の練習を比較すると、北海道マラソン前とかは楽に(身体を)動かせることが多かったのですが、今回のマラソンに向けては、すごくしんどい日が多くて……。

――それは、北海道マラソン前よりも、質の高い練習を行っていたから?

 そうです。とてもきつくて……。でも、そのなかで、しっかり我慢して、粘って走ることを継続できたのが、今回のレースの結果にもつながったかなと感じています。

「並ばれたときは、いっぱいいっぱい」 対応力と筋力が課題

松田瑞生(前)に並ばれたときは「いっぱいいっぱいでした」と振り返る 【写真は共同】

――「悔しさもあった」ということですが、それは優勝した松田瑞生選手(ダイハツ)に並ばれたとき、すぐに置いていかれてしまったことでしょうか? あのとき、どういう状況だったのですか?

 後ろから来ているのは分かっていたのですが、もうきつくなっていて、並ばれたときには、いっぱいいっぱいでした。身体も全然動かなくて、そのまま離されてしまいました。

――ペースの変動については、レース後、どう評価したのでしょう?

 35キロから40キロが落ちているので……。

――17分26秒ですね。

 はい。そこを16分台で粘りたかったというのはあります。

――5キロごとのペースとしては、どのくらいを想定していた?

 ペースメーカーが17分00〜10秒くらいで行くということで引っ張っていてくれたので、それに合わせることを考えていました。

――25キロで前に出て、30キロまでの5キロを16分41秒にペースを引き上げました。次の5キロは16分50秒で通過しています。30キロ以降は、そのくらいのペースで、どこまで押していけるかという思いだったのでしょうか?

 はい。(きつかったのは)呼吸より、脚ですね。ふくらはぎがだんだんパンパンになってきて……。レースが終わってからも、もうやばかったです(笑)。

――そのあたりが、レース後の会見で今後の課題として挙げていた「並ばれたときに対応できるようにすること」というのと、「筋力アップ」の部分ですね。

 はい、そうです。

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