大一番を前に復活したレアル・マドリー  唯一の目標、CL3連覇に向け一歩近づく

3連覇を目指すレアルは“闘牛”ではなく“マタドール”

PSGを相手に2点のリードを奪ったレアル・マドリー。3季連続のCL優勝に一歩近づいた 【写真:ロイター/アフロ】

 ラ・リーガとCLを合わせたこの2週間の4試合で、レアル・マドリーは計16ゴールをたたき出している。それは攻撃陣のポテンシャルだけでなく、ジダンの落ち着きとバランス感覚、そして勇気がもたらした結果だと言える。

 選手としてもレアル・マドリーでプレーしたジダンは、PSG戦に懸かっていたものの大きさも、このチームに根付くDNAも熟知していた。恐れず、深く考えすぎることなく、あくまでも攻撃的にプレーする。それだけでレアル・マドリーはPSG相手に2点のリードを手にし、3季連続、通算13冠目のビッグイヤー獲得に向けて歩みを進めることに成功したのである。

 PSG戦の数日前、プレドラグ・ミヤトビッチは現在とよく似た1997−98シーズン当時のことを振り返っている。当時のレアル・マドリーも国王杯で早々に敗退し、リーガではバルセロナに差をつけられ、32年間もタイトルから遠ざかっていたCLが残る唯一の目標となっていた。

 ミヤトビッチは最終的に「ラ・セプティマ(7冠目)」を獲得した選手たちがCLのタイトルに「飢えていて、また必要としていた」ことを明かした上で、現在のチームについて次のように評価している。

「自分たちの頃とは違い、彼らは全てを勝ち取った。CLも2度勝った上で3連覇を目指している。彼らにはそういった挑戦に対して、自身をモチベートし続ける才能がある」

 レアル・マドリーをたたえるべき点は、まさしくそこにある。プレー内容が良いわけではない。良い流れにもなかった。にもかかわらず、チームも監督も、それが生死を分ける決戦であることを理解した上で、なぶり殺される“闘牛”より“マタドール(闘牛士)”になることを望んだのである。

(翻訳:工藤拓)

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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