完敗を喫した日本男子ジャンプ陣 歴史をつなぐ戦いが再び始まる
斉藤監督、そして葛西の視線は4年後へ
努めて明るく、笑顔で引き上げた葛西。4年後の北京五輪へ現役続行を宣言した 【写真は共同】
「選手が出てくるのを待っているだけでは、(次回2022年の)北京五輪でもメダルは狙えない。日本のジャンプ台はどこでも同じ形状なので、(経験を積ませるために)夏の合宿から拠点を欧州に置いて、W杯のほかに下の選手を育てるためにも、W杯のひとつ下のコンチネンタル杯にフル参戦させていくようなことも考える」
日本のジャンプ台の形状が同じなのは今に始まったことではなく、若手が思うように育ってこない現状も今シーズン明らかになったわけではない。しかしジャンプの強化費用は以前と比べて厳しくなったと言われており、飛距離に大きな影響が出るスーツにしても、W杯などの海外遠征ではヘッドコーチが自らミシンを持ち込み縫うことで調整しているような状況だ。理想の強化体制を取れない歯がゆさがにじむ。
重い結果を受けてどんよりした言葉が並ぶジャンプ陣。しかしその暗さを取り払うように、葛西はいつも通り努めて明るく振る舞った。自身も失意の結果に終わったはずだが、試合後すぐに4年後の北京五輪へ向けた現役続行を宣言すると、若手への期待を笑顔でこう語ってくれた。
「すぐに強くなれるような選手はたくさんいるんです。僕もうかうかしていられないんですが、4年後を目指す選手たちと切磋琢磨(せっさたくま)してやっていきたいなと思いますし、教えてあげたいなと思います」
新しい歴史の芽吹き
今大会ブレイクした小林陵侑(左)と本来の力を出し切れなかった兄の潤志郎 【写真は共同】
「ほかの選手もみんな同じで、実力を持っているはず」と語るのは、雪印メグミルクスキー部監督の原田雅彦氏。「そのちょっとしたきっかけをつかめば、今年の小林潤志郎のような活躍をみんなできるはずなんです」。それを五輪で証明してみせたのが弟・陵侑だった。W杯での実績は最も少なかったが、最終的には団体戦の4番手を任され、日本勢で唯一130メートル級のジャンプを連発した。
伊東、竹内、小林潤がジャンプ競技に対する憧れを抱いたのは、長野五輪を観戦したからだ。あの冬日本中を沸かせた原田氏はこうも語っていた。
「札幌五輪から長野五輪までは26年空くんですけど、その間は『低迷していた』と一言で片付けられてしまうんですね。でも、そこにはたくさんの先輩方が歴史をつないできたからこそ、日本で長野五輪が行われて、われわれが活躍できたのだと思います。歴史はつながっていくんですね」
今大会に葛西、伊東、そして女子の伊藤有希(土屋ホーム)と3人を送り込んだ“聖地”北海道下川町をはじめ、ジャンプ競技が盛んとされる地域はその多くが過疎に悩まされており、そもそも子どもの人口が大きく減っている。ジャンプ少年団は全盛期から人数を大きく減らし、しかも“高梨人気”からか男女比では今や女子選手の方が多いのだと言う。
そんな中、これまで北海道や長野県出身者が大半を占めてきた代表選手に、決してジャンプが盛んな地域ではない岩手県出身の小林兄弟が加わったように、新しい歴史の芽吹きを感じとることもできる。長野五輪から20年。ソチ五輪での復活から4年。日本男子ジャンプ陣の歴史をつなぐ若手がさらに出てくることを、関係者のみならずファンも願っている。
(取材・文:藤田大豪/スポーツナビ)