難病を乗り越え最初で最後の箱根路 順大・花澤、人間的に成長できた4年間
順天堂大・花澤のゴールに大きな歓声
順天堂大の10区を走った花澤賢人(右)は最初で最後の箱根駅伝となった 【赤坂直人/スポーツナビ】
年末の紅白歌合戦は、白組の大トリを飾ったゆずの『栄光の架け橋』で2017年という年を感動的に締めくくった。
そして年が明け、1月2日、3日には新春恒例となる第94回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)が開催された。レースは6区の山下りで東洋大を逆転した青山学院大が4年連続の総合優勝。王者の強さを見せ付けた。青山学院大と同じく、大会前に「3強」と評されていた東海大は5位、神奈川大はシード権を逃す13位に沈んだ。
復路のゴール地点では多くの駅伝ファンが集まり、各大学に声援を送っていた。中でも青山学院大の優勝の瞬間と同じくらい、大きな歓声を受けた瞬間があった。
それは順天堂大の花澤賢人(4年)がゴールした瞬間だった。
2年次に難病を患い欠場を余儀なくされる
高校時代の実績を持って順天堂大に入学。しかし、花澤の4年間は試練の連続だった 【赤坂直人/スポーツナビ】
千葉・八千代松陰高出身の花澤は、高校時代に5000メートル13分台を記録し、超高校級の選手として順天堂大に入学。エース候補として期待され、最初の箱根駅伝では1区にエントリーされたが、レース直前の体調不良により欠場となった。
不運はさらに続き、2年次は原因不明の腰痛に襲われた。
「ベッドから起き上がるのに30分、50メートル歩くのに20分くらいかかりました。辛すぎて歩けなかったです」
診断の結果は強直性脊椎炎。関節と筋肉が付着している部分に炎症が起きる病気であり、国が指定する難病であった。
だが、病名が発覚したことにより病気との付き合いかたが次第に分かってくるようになる。「最初はどう動けば良いのかまったく分からなくて、どう練習すれば痛みが出たり出なかったりと……。日によって痛み方が変わったりしていたんですけど、次第に対処法が分かってきたというのが一番の救いです。気圧や寒さが大敵なので、できるだけ暖かい格好でというのが大原則。あとはストレッチで補っています」
対処法が分かり、再び走り始めた3年次だが、大会直前に脛(けい)骨を疲労骨折してしまい箱根出場を断念。そして最後のチャンスとなった4年次、またしても花澤に悲劇が襲う。