流経大柏は「練習よりも試合の方が楽」 代名詞のハイプレスで日章学園に走り勝つ

江藤高志

前半から圧倒的に攻めた流経大柏

流通経済大柏が加藤蓮(左から2番目)のゴールで日章学園を1−0で下した 【写真は共同】

 後半27分の先制点を守り切り、1−0で勝利を手にした流通経済大柏(千葉)を支えたのは走ることで身につけた自信だった。

 1月3日に行われた第96回高校サッカー選手権の3回戦は、立ち上がりから流経大柏が日章学園(宮崎)を圧倒しながらも決定機を決め切れないまま時間が過ぎていく展開に。流経大柏の武器は代名詞とも言えるハイプレスで、立ち上がりからの15分ほどの間、日章学園の最終ラインを次々と破って決定機を作り出した。

 日章学園の佐藤詩響キャプテンは不安定だった立ち上がりの15分間について「(1、2回戦で)北陸、佐賀東と戦いましたが、流経大柏とはタイプが違っていて慣れていなかったというのはありました」と話す。ただ、日章学園の選手たちは試合の中で流経大柏のサッカーを把握。ピッチ上でどう対応すべきかを判断し、守備を安定させた。

 とはいえ、圧倒的に攻めていたのは流経大柏で、ゴールは時間の問題と思われていた。そんな状態でも日章学園の選手たちは手応えを感じていたという。佐藤は「プレスはすごかったのですが、思ったほどではない。慣れるまでは時間が掛かりましたが、慣れてきたらやれるという自信はありました」と話し、さらに「守っていればチャンスはあると思っていました」と振り返る。流経大柏が決定機を外していたことが、日章学園に勇気を与える序盤戦となっていた。

キャプテン宮本が思い出す厳しい練習の日々

 攻め続けながら無得点だった流経大柏の心理状況はどうだったのか。彼らは彼らで前半の0−0は問題なかったと話す。キャプテンの宮本優太は「前半は0−0でいいという話をしていたので、クマ(FWの熊澤和希)に『決められなくても気にするな』と。後ろ(DF陣)には『じれるな』という話をしたら、大丈夫だという反応だったので、安心してやれました」と説明。流経大柏に心理的な焦りはなかった。鬼京大翔も次のように述べる。

「いつも前半は0−0でいいという気持ちです。相手はいつも後半に足が止まってきますし、自分たちは走れるので。だから前半に決まらなくても、焦らなくていいという話はしていました」

 彼ら3年生がそう言い切れるのは、積み重ねてきた練習があるからだ。鬼京が「3年間でだいぶ走ってきたと思います。後半勝負です」と述べると、宮本も「厳しい練習をやってきているので」と胸を張る。宮本が思い出すのは、練習前に走り、全体練習が行われ「さすがにもう終わるかと思ったら、長い距離を走る練習があって、そういうのはきつかった」という練習の日々だ。今でもチームメートとともに「あれはきつかったとみんなで話して笑っています」というほどのメニューだった。そうやって日常的に鍛えられた宮本は「本当に思うんですが、流経は練習よりも試合の方が楽なので」と笑顔を見せた。

 宮本が言うとおり、流経大柏は全員が走り続けていた。前線の熊澤と安城和哉がスイッチを入れる高い位置からの守備は、最終ラインまでが追随した連動性の高いもので、相手を即座に囲い込み、ボールを奪い取ってきた。ハイプレスはハマれば効果的だが、日章学園も最初のプレスを外せるだけの個人技がある。流経大柏のプレスが無駄足になる場面も少なくはなかったが、それでも走り続けられたのは、厳しい練習の裏付けがあったからだった。

決勝点につながったキッカー近藤の判断

厳しい練習に裏付けられたハイプレスを武器に、流通経済大柏が準々決勝進出を決めた 【写真は共同】

 日章学園の粘り強い守備に手を焼く流経大柏は、CKやFKでいい形を作り続ける。だが、近藤立都が蹴る精度の高いボールでもゴールは決まらず。近藤は「ずっとCKとFKをセットした状態で入れていたのですが、相手にしっかりとマークに付かれていて崩れなかった」と話す。

 だからこそ後半27分の決勝点につながるFKの判断は良かった。ゴール前に入れるのではなく、素早いリスタートで縦に走る菊地泰智にパス。「(ボールを)一個動かせば相手が崩れるかなと思った」と話す近藤は、「それで(日章学園に)スキが出たのでやれました」と述べている。

 菊地の折り返しを最後は加藤蓮が押し込んで1点を先制すればあとは守るだけ。瀬戸山俊と関川郁万という鉄壁のセンターバックコンビを中心とした守備陣が日章学園の猛攻をシャットアウトした。

 両チームとも自信を持って臨んだ試合ではあったが、結果だけを見ればより多くの決定機を作った流経大柏が順当に勝利。5日に行われる準々決勝への進出を決めた。
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著者プロフィール

1972年、大分県中津市生まれ。工学院大学大学院中退。99年コパ・アメリカ観戦を機にサッカーライターに転身。J2大分を足がかりに2001年から川崎の取材を開始。04年より番記者に。それまでの取材経験を元に15年よりウエブマガジン「川崎フットボールアディクト」を開設し、編集長として取材活動を続けている。

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