井川慶が語る進退とこれまでの野球人生「NPBから声が掛からなければ…」

カワサキマサシ

10月に阪神2軍との練習試合でマウンドに上った井川 【写真は共同】

 2003、05年と阪神の優勝にエースとして貢献し、MLBの名門ヤンキースのユニホームも着た井川慶は今季、独立リーグ「ベースボール・ファースト・リーグ」の兵庫ブルーサンダーズでプレーした。今年の夏に話を聞いた際には「自分が納得できるシーズンが送れたら、今季を最後にする」と語っていた。シーズンを終えた今、井川は自らの進退にどのような決断を下したのか。それを確かめるべく、再び彼のもとを訪ねた。

自身の進退について

──今年の夏に別の取材で話をうかがった際には、「ケガなくシーズンを過ごせて、自分が納得できるボールが投げられたら引退も考えている」と話してくれました。ズバリお聞きしますが、自身の進退についてはどう考えていますか?

 一部の報道にも出たとおりで、NPBのチームで投げるチャンスがあれば全力でやります。でもそれがなければ、ひと区切りというか、休養しようかなと思っています。

──引退ではなく、休養?

 そうですね。

──引退という言葉で、けじめをつける考えはない?

 最初から、そういう考えはありませんでした。若いころに伊藤喜剛(よしたか)さんという、同じ茨城県出身の陸上選手とトレーニングをさせていただいたことがあったんです。伊藤さんは100メートル走で世界選手権にも出られた方で、その人が現役を上がられるときに「引退じゃなく、休養する」と言ったんです。それを聞いて、「なるほど、こういうやり方もあるんだ」と思いましたね。伊藤さんは当時、「僕は引退と言っていないですから。復帰するかもしれないですよ」とも話していました。

──引退すると言わない限り、現役であり続ける?

 そうそう(笑)。

──ドラフト、トライアウトも終わってNPB球団の来季への編成はひと区切りがつきました。その一方で、来季の支配下選手登録は7月末まで可能です。そこまで待つ考えは、あるのですか?

 待つというか、そんな感じではないですね。自分にチャンスがあるとすれば、例えばキャンプでケガ人が出て、ピッチャーの枠が空いてしまったとか。そういう場合でしかないと思っています。この時期が過ぎたら一切野球をしないとかではなく、そういうスタンスでいます。

──現時点でNPBへの復帰が難しい状況であるとは、自覚している?

 もちろん。ハナからないとは思っています。プロ野球の流れも知っていますしね。でもヤンキースでチームメイトだったロジャー・クレメンス投手は、シーズン途中で復帰して試合でバリバリに投げていました。「こういうこともあるんだ」と思っていたことを、覚えていますね。

求めた「納得のいくボール」

兵庫でのシーズンを終え、現在の心境を語ってくれた 【写真:カワサキマサシ】

──夏の時点では、「自分が納得のいくボールを投げるために、ここでプレーしている」と言っていました。そのボールは、投げられましたか。

 だいたい、ですけどね。もともとプロでやっていたので、こうしたらもっといいボールが投げられるんじゃないかとか、やっているうちにいろいろと出てくるんですよ。時間との兼ね合いもあったりするなかで、ある一定の満足は得られたかなと思います。

──大満足ではない。

 それはなかなかね。野球をしていて大満足することは、いつのシーズンでも難しいです。

──この環境、今の年齢と体の状態で投げたボールとしては納得できる?

 客観的に見て、全体的には満足していますね。

──今季追い求めた「納得のいくボール」を言葉にすると?

 自分のなかに昔からイメージがあって、腕をこのくらい振ったら、このくらいのボールが行くという感覚があるんですよ。阪神時代や、プロで投げていたころのイメージですね。あのころと同じではないですけど、今季はそれに近づけたかなと。オリックスにいた最後のほうはキャッチボールをしていても、自分で腕を振っているつもりなのに、思ったボールが行かなかった。ボールの勢いと自分のイメージの違いが、大きすぎたんです。それが去年の後半になってキャッチボールから、段々とイメージに近づいてきた。オリックスは15年で退団することになりましたが、もう一度、自分が思うボールを投げたいと思って、今季はブルーサンダーズでプレーさせてもらうことにしたんです。

──ここでのプレーは今季限りと報道されました。

 そうですね、今のところというか……。最初から、悔いのないように1シーズンやらせてもらおうと始めたことなので。それは今のところ、変わっていないですね。

──ここでプレーした今季は、井川選手にとってどんなシーズンでしたか?(14試合に登板して11勝0敗0セーブ、防御率1.10)

 すごく、大事なシーズンだったなと思いますね。日本に帰ってきてからは消化不良というか、自分が悪いんですけどケガとかが多くて、野球をやっている感じではなかった。このチームでプレーして、なんとか自分が納得できる形でやれましたね。

兵庫でのシーズンは「すごく満足」

──独立リーグの兵庫でプレーしたシーズンを終えて、今はどんな気持ちですか?

 ケガなくやらせていただいて、すごく満足できる、充実したシーズンでした。1年を通してプレーしたのは、7〜8年ぶりくらいですかね。アメリカで最後になった5年目にちょっとケガをして、オリックスに行っても故障が続いたので。1シーズンをしっかり投げることを目標にやってきたので満足していますし、やり切った思いはありますね。

──今季で印象に残っているのは?

 春先に東北楽天の2軍との試合に登板して、3失点くらいしたんです。そこでこのままでは、ムダなシーズンになってしまうと、気を引き締め直しました。独立リーグはレベル的に、ちょっと気を抜いていても抑えられてしまうところもありましたが、やっぱりプロ相手になると1球1球が大切だなと再認識するようになって。それを独立リーグでもやろうと。そこから1試合1試合により集中するようになりましたね。

──プロを相手に投げて、なぜ自分がここで投げるかの意味を再認識した?

 そうですね。自分としては質のいい、納得のいくボールを投げることを求めていました。それにここでプレーしている選手はプロ野球を目指しているので、彼らに少しでもいい影響を与えられるような投球ができればと思ってやりました。

阪神戦に投げられて「自分は幸せ者」

──NPB復帰が叶わなければ、10月5日に鳴尾浜で行われた阪神2軍との練習試合が現役最後の登板になります。どんな気持ちで、マウンドに上がったのですか?

 もう、その気持ちですね。自分が置かれている状況は、わかっていたので。それまでずっと阪神との練習試合がなかったんですけど、ブルーサンダーズの続木敏之監督や阪神の関係者の方々が一生懸命にやってくださって、試合が実現しました。みなさんには、感謝の気持ちでいっぱいです。阪神に入団してプロ野球生活を鳴尾浜で始めて、今シーズンを鳴尾浜で終わらせてもらえるのはうれしかった。自分は幸せ者です。

──プロで最初に入団した球団である阪神への思い入れは、今も深くありますか?

 もちろん、そうですね。高校からプロに入らせてもらって。すごくいろいろな思い出もありますし、プロとはこういうものだと認識できた。阪神に入って、本当に良かったです。

──タテジマを着た若い選手を相手に投げて、思うところもあったのでは?

 それよりも、ここが自分の区切りという気持ちでしたね。阪神の若い選手たちも、自分が阪神で投げていたのは知ってくれていると思うので、先輩としてそれに恥じないようにしっかりと投げたいなと思っていました。

──相手投手は高卒2年目の望月惇志投手で、150キロ台を連発していました。彼の投球を見ていて、若いころの自分に重ねたり、思うところがあったのではないですか?

 単純に、球が速いなと(笑)。阪神のほかの選手もそうですけど、しっかりとトレーニングしたり、野球のレベルは上がってきていると思う。高校生で150キロを投げるピッチャーもいますしね。そのなかで阪神で期待されている望月くんが投げているのを生で見られて、いいなと思いましたね。ケガなく頑張って、球界を背負うピッチャーになってほしいと思っています。

──投げ合うライバルというより、優しい目線で見ていた?

 年代が違いますし、ライバルという意識はなかったですね。でも望月くんが投げているのを見て、「ああいうふうに投げられたら」「あんなスピードがほしいな」という思いは、もちろんありました。自分のトレーナーの方も阪神戦を見ていてくれて、「こんな歳でも、あのレベルに行きたいね」って話しています。それがモチベーションになって、今もウエイトトレーニングとかをやっています。

──辞める気は全然、なさそうですね。

 ははは(笑)。上を目指すのは、自由ですからね。

──最後のバッターは1軍で4番も打った原口文仁選手でした。それまで直球は130キロ台でしたが、あの場面では140キロ超えを連発して三振を奪いました。

 試合前から最後のバッターには、全部真っ直ぐを投げようと思っていました。あの場面で原口選手が最後のバッターになると思ったので、目一杯に腕を振って投げました。

──140キロを超えたストレートは、納得のいくボールでしたか?

 ファウルで粘られもしましたし、ビシバシいったわけじゃないですけど、最後に腕を振れたことが満足というか……ね。オリックスの最後もそうですし、阪神からアメリカに行く前の最後の試合、神宮だったかな。そこでもたぶん、最後のバッターから真っ直ぐで三振を取っているんです。区切り区切りで、気持ちを込めて投げています。あそこも自分にとっての区切りだとわかっていたので、真っ直ぐでやり切ったという思いはあります。

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著者プロフィール

大阪府大阪市出身。1990年代から関西で出版社の編集部員と並行してフリーライターとして活動し、現在に至る。現在は関西のスポーツを中心に、取材・執筆活動を行う。

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