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20年の時を超え、次世代へ
集中連載「ジョホールバルの真実」最終回
帰国した日本代表は盛大な出迎えと祝福を受け、成田空港内のホテルで記者会見を行った
帰国した日本代表は盛大な出迎えと祝福を受け、成田空港内のホテルで記者会見を行った【写真は共同】

 11月18日の早朝に帰国した日本代表は、盛大な出迎えと祝福を受け、成田空港内のホテルで記者会見を行った。しかし、メディアへの対応を終えて解散する際、城彰二は岡田武史に呼ばれ、「もっとしっかり練習しろ。適当にやり過ぎだ」と厳しい言葉をかけられた。

「その瞬間は、え? 何を言っているんだろう、と思いましたね。でも、期待の表れというか、もっとトレーニングを重ねて代表のレギュラーを奪い取れ、という激励の言葉だったんだと思います」

 城はジェフ市原(当時)のルーキーだった1994年の1年間を、コーチを務めていた岡田とともに戦っている。若手の指導を担当していた岡田に、みっちりしごかれたのだ。

 城の才能を高く評価し、だからこそ厳しい目で教え子を見ていた。イラン戦での起死回生の同点ゴールは、岡田にエースとしての覚醒を期待させたのかもしれない。


 最終予選を終えて本大会へ向かう間、三浦知良(カズ)は練習試合で負ったけがの影響もあって調子を取り戻せないままだった。城が日本代表のスタメンを飾る機会が増えていく。

 そして、ワールドカップの開幕直前、カズが最終メンバーから落選し、代わって城が日本代表のエースに指名されるのだ。

 城がエースの重圧、つまり、カズが背負っていたものの大きさを知るのは、カズが日本代表チームを去ってからだった。

「自分の中に大きな穴ができたように感じましたね。ものすごいプレッシャーに襲われて、食事が喉を通らなくなった。体重が4キロぐらい落ちたし、夜中に起きて吐いちゃうし。僕はプレッシャーに勝てなかった。と同時に、カズさんがプレッシャーを全部背負ってくれていたから、これまで伸び伸びとプレーできたんだなって……」

 日本代表のエースに指名されるきっかけともなるゴールを決めたジョホールバルでの一戦は、城にとって、サッカー人生における最大の経験だったという。

「ワールドカップというのは、サッカーをやっている人みんなが憧れる場所。結果、3戦全敗でエースの責任を果たせなかったけれど、夢の舞台に立てたのも、その後にスペインでプレーできたのも、あのイラン戦に勝ったから。日本サッカーの歴史に残る試合に出場できたのは誇りです。でも、二度と経験したくないですね。本当に大変だった。こうして振り返るだけで、あのときの疲労と重圧が蘇ってきて……疲れちゃう」

 そう言うと、城は大きく息を吐き、ほほ笑んだ。


 山口素弘には、歴史を切り開いた一員でいられたことと同様に、もうひとつ誇りに思っていることがある。

「日本サッカーの原型を作れたんじゃないか、という自負みたいなものがあって。全体をコンパクトに保ち、中盤でボールをしっかり動かしてゲームを進めていく」

 中田英寿とともにプレーするようになったのは、最終予選が開幕するわずか3カ月ほど前だったが、その瞬間から山口は、自身と名波浩、中田の3人のサッカー観やプレービジョンに共通するものを感じていた。あうんの呼吸を築くのに、時間はかからなかった。

 スキルフルな選手がそろう中盤の強みを前面に押し出したスタイルは、のちのジーコジャパン、オシムジャパン、ザックジャパンに通じるものがある。


 06年ワールドカップ・ドイツ大会まで日本代表のトレーナーを務め、その後は育成年代の日本代表をサポートした並木磨去光は、97年の最終予選を戦った選手たちのマインドがいかに貴重なものだったか、痛感しているという。

「『犠牲心』と『フロンティア精神』というのでしょうか。それは誰かに教わって身につけるものじゃないから難しいんですけれど、あれだけ人生を懸けて本気でサッカーに取り組む集団に、その後、出会ったことはないですね」

 チームのために戦うんだ、歴史を変えるんだ、という想いを持っていたのは、実際に最終予選のピッチに立った選手だけではなかった。ピッチでプレーすることが叶わなかった者も、日本サッカーの未来のために全霊をかけて戦っていた。

 その代表格が、第3GKの小島伸幸だろう。火花を散らす正GKの川口能活と第2GKの楢崎正剛の間に入り、ベンチに座ることすらできない試合があったにもかかわらず、笑顔を絶やさなかった当時31歳のベテランが果たした功績も計り知れない。

日本サッカー史に残る「ジョホールバルの歓喜」から20年――。当時は、W杯本大会に出場することは今のように当たり前ではなかったのだ
日本サッカー史に残る「ジョホールバルの歓喜」から20年――。当時は、W杯本大会に出場することは今のように当たり前ではなかったのだ【スポーツナビ】

「ジョホールバルの歓喜」から20年。日本サッカー史に残るエポックメーキングな出来事をリアルタイムで知らない選手たちが、今や続々とJリーガーとなっている。なかには日本代表デビューを飾った者までいる。

 彼らにとってワールドカップは、日本代表に選ばれさえすれば、立つことのできる舞台かもしれない。しかし、ワールドカップ出場の門が今より狭く、本大会に出場することが今のように当たり前ではなかった時代に、「犠牲心」と「フロンティア精神」を持って戦った男たちがいるということを、忘れるべきではないだろう。彼らが切り拓いてくれたからこそ、今の道があるということを――。


「時代を築いてくれた、と言ってもらえたら、嬉しいかな。でも、若手にそんなことを言われてもねえ」

 北澤豪は昔の自分を振り返って、言う。

「俺も若いころは、日本のサッカー界がどうだとか、まるで意識していなかった。だから、今の若い子もドーハとか、ジョホールバルのことなんて気にせず、先のことだけを見てほしい。若いうちはギラギラするもんだよ。いずれ年齢を重ねていけば、自然とそういう歴史の上に自分が立っていることが分かってくるものだから」

 17年の年末に立ち上げられる東京五輪代表チームは、現在20歳以下の選手たちで構成される。つまり、彼らは日本が初めてワールドカップ出場を決めた97年以降に生まれた選手たちである。彼らが3年後の五輪で52年ぶりとなるメダル獲得を成し遂げれば、日本サッカー界にまた新たな歴史が刻まれることになる。


<了>

参考資料

『週刊サッカーダイジェスト』(日本スポーツ企画出版社)

『週刊サッカーマガジン』(ベースボール・マガジン社)

『Sports Graphic Number』(文藝春秋)

『Sportiva』(集英社)

『エースのJO』(城彰二/リヨン社)

『決戦前夜』(金子達仁/新潮社)

『指揮官 岡田武史』(潮智史/朝日新聞社)

『たったひとりのワールドカップ 三浦知良 1700日の闘い』(一志治夫/幻冬舎文庫)

『名波浩 泥まみれのナンバー10』(平山譲/幻冬舎文庫)

『朝日新聞』

『スポーツニッポン』

『日刊スポーツ』

飯尾篤史
飯尾篤史
東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書として『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)、城福浩『Jリーグサッカー監督 プロフェッショナルの思考法』(カンゼン)などがある。

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