ジョホールバルの歓喜、それぞれの想い 集中連載「ジョホールバルの真実」(19)

飯尾篤史

岡野を中心に歓喜の輪ができた。しかし、逆サイドにいた名良橋は疲労困憊で、駆け付けることすらできなかったのだ 【写真:岡沢克郎/アフロ】

 並木磨去光は、ボールがネットを揺らす直前に、ピッチに向かって走り出していた。
「それまでは、ゴール後とかの歓喜の輪には加わらないと決めていたんです。まだワールドカップ出場を決めたわけじゃないんだからと。でも、決まったらまっ先に飛び出そうと思っていた。そうしたら、岡田(武史)さんに抜かれ、カズ(三浦知良)にも抜かれ、岡野雅行の元に到着したのは3番目でした。あのときは『終わったー!』と叫びながら走っていました。『決まったー!』ではなく『終わったー!』と」
 名良橋晃は岡野を中心とした歓喜の輪に加わっていない。逆サイドにいた名良橋は疲労困憊(こんぱい)で、駆け付けることすらできなかったのだ。
「もうヘトヘトでしたね。やっと終わったんだって。真っ白な灰になるってこういう感じなんだろうなというくらい、燃え尽きました」

やや遅れて歓喜の輪に加わった山口素弘は加茂周のことを思った 【写真:青木紘二/アフロスポーツ】

 やや遅れて歓喜の輪に加わった山口素弘は、ベンチ外だった高木琢也と抱き合い、メーンスタンドの家族に向かってガッツポーズを繰り返し、ひとしきり喜びに浸ったあと、ふと、加茂周のことを思った。山口にとっては全日空サッカークラブ時代からの恩師であり、日本代表に引き上げてくれたのも加茂だった。
 加茂が解任された翌朝、山口はホテルのエレベーターで帰国前の加茂と会った。そのときの加茂の表情が、強く印象に残っている。
「偶然一緒になって『まあ、頑張れ』と言ってくれたんですけれど、そのときのオヤジの表情が、プレッシャーから解き放たれたじゃないけれど、ちょっと柔らかかったんです。僕からしたら、それはオヤジの顔じゃない。怖いのがオヤジだから。逆に、そういう顔にさせてしまった責任と、オヤジと一緒にワールドカップに行きたかったという悔しさを感じながら戦っていましたから」

 北澤豪は喜びを爆発させていた。それは、4年ぶりの喜びだった。ドーハの悲劇が起こる1試合前、1−0で勝利した韓国戦で北澤はマン・オブ・ザ・マッチ級の活躍で勝利に貢献していた。その試合以来、4年間封印していた感情だった。
「ドーハのあと、心から笑うことも、喜ぶこともなかった。喜び損になるのがすごく嫌でね。Jリーグでゴールを決めても、これじゃあダメだなっていうふうにしか思えなかった。何が原因でワールドカップに行けなかったのか、答えがないなかで4年間突き進んできた。だから喜びが爆発したし、若い選手たちへの感謝も感じたし、いろいろな感情が芽生えましたよね」

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著者プロフィール

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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