4年生野手と若い投手陣が融合した慶大 神宮大会で17年ぶり日本一を狙う
数々の本塁打記録を打ち立てた4番
7季ぶり35度目のリーグ優勝を決めて、胴上げされる慶応義塾大・大久保監督。2015年に母校の監督に就任して初の優勝となった 【写真は共同】
秋の7季ぶり35回目の優勝は春の「あと1勝」を逃したことから始まった。連勝すれば優勝、という状況で迎えた春の早慶戦。1回戦を勝ったが、2回戦を打ち合いの末に落として優勝を立教大に譲った。
岩見雅紀(比叡山)――先日のドラフト会議で東北楽天から2位指名を受けた4番に座る長距離砲だ。春も岩見が5本塁打など打点を挙げて勝ちにつなげてきた。しかし、早慶戦では勝ち点を挙げたものの、3戦を通じて岩見は無安打で打点なし。一気に優勝をもぎ取る勢いを欠いたと言っていい。つまり、岩見の打撃が慶大の浮沈を握っていた。
秋のシーズンも東京大に敗れるまさかのスタート。なんとか連勝して勝ち点を取ったが、次の法政大戦には勝ち点を落とすという崖っぷち。もう1敗も許されない状況でチームを救ったのが岩見だった。10月に入った明治大戦から勝ち越しや先制ホームランを放ってチームを波に乗せた。この秋、リーグ戦史上初の5試合連続、シーズン記録となる7本、年間12ホームランは新記録になった。
「これまで数字の目標は持たなかったんですが、最後はホームランを10本、打ちます。10本打てば記録にもなるし、優勝チームの4番の活躍でしょう」
シーズン前にインタビューしたときに宣言してくれた通り、本数は及ばなかったが有言実行。明治大、立教大、早稲田大との対戦で6連勝して優勝まで突っ走った。
春のリーグ戦同様、最後の早慶戦に優勝がかかった。秋も連勝すれば優勝という同じシチュエーション。これを見事ものにした。実は岩見はここでも打点を挙げられなかったが、四球などでチャンスメイク。他の選手がカバーした。
岩見の貢献はホームランだけではない。ゲームの後半、守備を固めるため交代してベンチに退くことが多い。その後の攻守交替では、真っ先にベンチを飛び出して守っていた選手を拍手とタッチで迎える。声を出して応援する。体格さながら、縁の下の力持ちを実践する。
140キロ後半を記録する1年生左腕
リーグ戦史上初の5試合連続本塁打、シーズン最多タイの7本塁打、年間最多本塁打の新記録となる12本塁打と数々の本塁打記録を塗り替えた4番・岩見。今ドラフトでは楽天に2位指名された 【写真は共同】
そして投手陣。早慶1回戦の先発が1年生の関根智輝(城東)。春は開幕投手を任された。7回からリリーフした佐藤宏樹(大舘鳳鳴)も1年。左腕から繰り出される速球は140キロ後半を常に計測し、早稲田大打線は3回で6三振を喫した。
2回戦は佐藤が先発。8回を1失点に抑え勝ち投手になった。佐藤が1.03で最優秀防御率を獲得。関根と佐藤が3勝ずつを挙げた。勝敗の責任投手は3、4年の上級生にいなかったという珍しいシーズンになった。
意思統一された投手陣の意気込みが伝わってきたのが最後の早慶戦。普通、4年生に投げさせることも少なくないが、ベンチ入りさえいなかった。ピッチャーだけではない、優勝に向けて首脳陣、全部員の意識がまとまっていたということだ。
2015年から指揮を執り、初優勝になった大久保英昭監督の経歴も輝かしい。慶応義塾大4年では捕手、主将として春秋シーズン連覇。日本石油では社会人ベストナイン4度、アトランタ五輪にも出場した。近鉄で3年間のプロ野球を経験。新日本石油ENEOSに監督で戻り、都市対抗でも3度、優勝した。この秋の母校での優勝は悲願だったに違いない。
一言で言うならば、4年生の野手と若い投手陣の融合した今秋の慶応義塾大。4年生のラストシーズンとなる神宮大会で、17年ぶりの日本一を狙う。
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