ハリルジャパン、強化の最終局面へ 霜田正浩が語るロシアでの“成功の鍵”

元川悦子

ハリルホジッチ現体制を“お膳立て”した霜田。日本は本大会に向けた最終局面を迎えている 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 日本サッカー協会(JFA)の前ナショナルチームダイレクター・霜田正浩氏(現シントトロイデン=STVVセカンドチームコーチ)がJFAを離れて1年近くが経った。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督率いる日本代表は紆余(うよ)曲折の末、2018年ワールドカップ(W杯)ロシア大会への出場権を獲得し、本大会に向けて強化の最終局面を迎えつつある。

 14年ブラジル大会での惨敗を受け、当時技術委員長だった霜田氏は次の4年間を(1)15年アジアカップ(オーストラリア)まで、(2)ロシア大会2次予選、(3)同最終予選、(4)本大会までの4クールに分け、強化を進める方針を確認。そのビジョンに従って、ハビエル・アギーレ監督を招へいした。

 第1クールの後、アギーレ解任という予期せぬアクシデントが発生した。その後、ハリルホジッチ監督を招へいするに至ったものの、歯に衣着せぬ物言いをする“ハリル流”には賛否両論が渦巻いた。それでも霜田氏は「自信を失っていたあの時の日本代表には、ヴァイッドのようなストレートで情熱的な監督が必要だった」と強調、指揮官のサポートを献身的に続けてきた。現体制を“お膳立て”した男に、チーム内外から見た3年余りを今一度、振り返ってもらった。(取材日:10月31日)

「ハリル流=縦に早い攻め」ということではない

当時技術委員長だった霜田に、ハリルホジッチ監督就任までの経緯を振り返ってもらった 【写真:Motoo Naka/アフロ】

――まずはハリルホジッチ監督就任の経緯から振り返っていただけますか?

(前監督の)アギーレとは「アルベルト・ザッケローニ監督時代のファーストグループをどこまで引っ張るか」という議論を繰り返していて「アジアカップは4年に1回開催される、コンフェデレーションズカップ出場権を取るための重要な大会。ここまではベストメンバーでいこう」という話になりました。

 結果的に(15年のアジアカップでは)準々決勝でUAEに敗れたわけですが、シュート数を含めて圧倒し(UAEの3本に対し、日本は23本)、内容的には全く問題なかった。当時の大仁(邦弥)会長も同じ意見でした。しかし、帰国して3日後にJFAの危機管理の観点から、アギーレ監督解任の通告を受けました。任命責任のある自分も辞めることを考えましたが、「お前は続けろ。次の監督を探してこい」と言われた。そういう形で自分の責任を全うしないといけないと感じ、欧州へ飛びました。

 2月というのは監督の空きがない時期で、ブラジル大会で16強以上の結果を残したアルジェリア、コスタリカ、ギリシャ、コロンビアなどの監督には以前から注目していたのですが、ほとんどが契約済みだった。そんな時、たまたまヴァイッドの携帯番号を知っている人と巡り合い、直接連絡を取って会うことができました。他にも候補者何人かと会った上で、彼と交渉を進めることに決めました。

――ハリルホジッチ監督のどこを評価したのですか?

 ヴァイッドは日本を強くしたいという情熱を持っていて、そのためには苦言を呈すことも辞さない。嫌われるのも覚悟でアプローチしてくる強さを持っていました。ブラジル大会に続いてアジアカップでも敗れ、自信を喪失していた当時の日本にはそういう監督が必要だと判断し、契約に踏み切りました。

「すでにロシアまでの第1クールが終わっているから、あなたは第2ク―ルからやってください」とお願いすると、ヴァイッドは「分かった」と言い、最初からトップギアで強化に着手しました。彼は自分にも他人にも厳しく、絶対に手を抜かないので、周りがうんざりすることもあるかもしれない。でも本人は「私はこのスタイルを変えられない」と批判を受けても、自分のやり方を貫いてきた。

 とりわけ、サッカーの本質である「戦うこと」と「デュエル」の重要性を植え付けた点では功績が大きいと感じています。現代サッカーは相手からボールを奪うことこそ、攻撃の第一歩です。カウンターアタックという言葉も、相手から奪った後の攻めを意味する。「ボールを奪われなければ失点もない」という考え方もありますが、日本が世界と戦うには現実的ではない。シュートもパスも、まずはボール奪取が第一。だからこそ、デュエル(1対1の競り合い)に勝つことが重要なんです。非公開の練習では、選手同士のぶつかり合う音が響いてきて、鬼気迫る時もあるくらい。意識は確実に高まっています。

「ハリル流=縦に速い攻め」という印象が強いかもしれませんが、サッカーはゴールが縦方向にあるので、縦に行くのが当たり前。ゴールへ速く行けない時には、ゆっくりつなぐといった臨機応変さが求められます。ヴァイッドも「コンビネーションで崩せ」とよく言っている。美しいコンビネーションで崩せた時は「ブラボー」と褒めることも、よくあります。決して「縦に急いで攻めろ」と言っているわけではない。そこは強調しておきたい点ですね。

ブラジル、ベルギーとの親善試合で大きな一歩を

ミーティングの多さも特徴に挙げられるハリルジャパン。徐々にその数は少なくなっていったという 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

――ミーティングの多用もハリルホジッチ監督の特徴ですね。

 ヴァイッドは第2クールからのスタートだった上に、活動期間も決して多くありません。1回の収集期間は10日程度しかなく、うち2日は試合で、毎日2部練ができるわけでもない。そこでミーティングを活用して、多くの考えを伝えようとしたのでしょう。ただ、ミーティングを何10時間やってもピッチ上で完璧に実践できるわけではない。全員のコンディションがそろわないと絶対に戦えないのが今のサッカー。そこは彼も分かっていたと思います。

 われわれとしては、ミーティング時間や回数を減らして選手の負担を軽減すべく、メンバー決定後にはDVDを送って予習させたり、実際に会ったり、電話で指示するという工夫も凝らしてきました。時間の経過とともに、ミーティング自体が少なくなったと思います。

――最終予選の苦戦は想定内でしたか?

 2次予選の初戦・シンガポール戦のドロー(0−0)、最終予選初戦・UAE戦の黒星(1−2)は想定外でした。ヴァイッドは日本選手の能力を高く評価しているので、「なぜこうなるのか」と疑問を拭えなかったようです。「選手を勇気づけたい」という発言もよくしますが、個々の状態を改善するために努力を辞さないのが彼らしいところ。そこは前向きに捉えるべきでしょう。

 2次予選はシンガポール戦のドロー以外は全勝で無失点。文句なしの結果でしたが、メディアを含めてヴァイッドへの不穏な空気がくすぶっていた。選手たちも「相手は格下なんだから、もっとつないで攻めればいいのに」と、どこかで不満を感じていた部分もあったかもしれません。

 そういうギャップは強い相手に勝ったり、良い内容の試合をすることで埋まり、チームとしても一段階レベルアップする。今になって思うと、ザックの時は監督と選手の思惑が一致したのが早すぎて、チームのピークが本大会ではなかったように感じます。だから、ヴァイッドが率いている今回くらいがちょうどいいのかもしれません。11月のブラジル、ベルギーとの親善試合で手ごたえをつかめれば、大きな一歩を踏み出せるのではないか。そんな期待を少なからず抱いています。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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