2013年 アジア戦略とレ・コン・ビン<後編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

札幌とJリーグが思い描く、アジア戦略の今後

新旧スター選手のツーショット。これは札幌が積み重ねてきた、アジア戦略の成果そのものだろう 【提供:北海道コンサドーレ札幌】

 ASEAN諸国初のJリーガーが誕生してから3年後の16年、札幌はクラブ名を「北海道コンサドーレ札幌」と改めた。「北海道」を新たに加えたのは、「実はインバウンド(訪日外国人旅行)も意識している」と野々村は語る(東南アジアの人々にとっては、「SAPPORO」よりも「HOKKAIDO」のほうが通りはいい)。

 一方、アジア戦略の継続は、チャナティップ・ソングラシンの活躍という、うれしい結果をもたらした。「向こうのクラブとの交渉だったり、現地の人たちに向けての発信だったり、それなりにノウハウを積み上げた部分もありますから」と野々村。レ・コン・ビンを獲得した時の経験や失敗は、確実に今に受け継がれている。

 かくして札幌は、Jクラブの中で最もアジア戦略のノウハウが蓄積されたクラブとなった。「他のクラブに『こうしたらいいよ』みたいなことを言うつもりはないですが」と前置きした上で、野々村はアジアにアプローチする意義をこう語る。

「サッカーには、勝ち負けだけでない価値というものが絶対にあって、それを見せるひとつの方法として、アジア戦略があるんだと考えています。そのためには、ある程度の継続性は必要。Jリーグが始まって間もないころ、欧州でプレーしていたのはカズさんだけでしたが、今ではたくさんの日本人がプレーしているじゃないですか。Jリーグでも、ASEANの選手が普通に活躍するには、それくらい時間はかかると思います。それが実現したら、Jリーグは東南アジアのお金持ちにとっても、魅力的な投資の対象になっていくでしょうね」

 一方、Jリーグのアジア戦略室は15年に「国際部」となり、提携国は11カ国を数えるまでになった。「放映権料やスポンサー料と並ぶ、Jリーグの新たな収入源は何か?」という問題提起からスタートしたアジア戦略だが、今後はどのような展開を思い描いているのだろうか。「26年がひとつの節目になる」というのが山下の考えだ。

「ご存じのとおり、この年に開催されるワールドカップから、アジアの出場枠が8.5枠になります。すると、ASEAN諸国のあちこちで『ジョホールバルの歓喜』が起こるわけですね。そのタイミングが、アジアでのサポートの区切りになるのかなと。それともうひとつ、26年はDAZNとの10年契約の最終年に当たるんです。それまでの間に、どれだけJリーグの成長戦略を描いていけるか。そこは、今のうちから考えないといけないですね」

 最後に、レ・コン・ビンのその後についても触れておこう。ベトナムの国民的英雄は、15年に国内1部のベカメックス・ビンズオンで現役を引退。翌16年には31歳の若さで、ホーチミン・シティの会長に就任した。今年の7月には、札幌のクラブハウスを表敬訪問。かつてのスタッフやチームメートと旧交を温める一方で、チャナティップとの対面も実現している。ASEANの新旧スター選手のツーショット。それは、札幌が5シーズンにわたって積み重ねてきた、アジア戦略の成果そのものであった。

<この稿、了。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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