テニス界注目の18歳シャポバロフが描く夢「テニスを一番の人気スポーツに」

内田暁

トレードマークは“シャポ・ファッション”

2016年、一気にテニス界の話題の中心になったシャポバロフ 【写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ】

 デニス・シャポバロフ――日本人にとってはやや発音しにくい名前だが、覚えておいて損はないだろう。旧ソビエト連邦にルーツを持つカナダの18歳の青年は、恐らくは今後長く、テニス界でトップを争う存在になるからだ。

 やや長めの金髪を、後ろ向きにかぶったキャップでまとめるその出で立ちは、彼が住むトロントでは“シャポ・ファッション”の名で広く知られる。名付け親は、地元の著名コメディアン。

「トロントでは、キャップを被って僕のマネをしている人たちが居るんだ。そんなファッションの人たちを見るのはうれしいし、シャポはフランス語で『帽子』の意味だから、なかなかクールな名前だよね!」

 まだ幼さの残る相貌に、人懐っこい笑みを広げて彼は言った。

 彼がカナダのみならず、世界中のテニスファンにその名を広く知らしめたのは、8月のカナダ・マスターズ(ロジャーズ・カップ)で大躍進を成した時だ。2回戦でフアンマルティン・デルポトロ(アルゼンチン)相手に勝利をつかむと、3回戦ではラファエル・ナダル(スペイン)をも、大熱戦の末に破る。跳ねるようにコートを駆け、目いっぱいに伸ばした左腕を鋭く振り抜く躍動感触れるプレースタイル。さらにはウイナーを決める度に拳を振りあげ、時に観客に声援を求めるエネルギッシュなコート上の姿は、自ずと見る者の目をひきつけ、熱狂の声を叫ばせる。わけても、片手で放つ雄大かつクラシカルなバックハンドは、一家言あるテニス愛好家や多くの識者たちをもうならせた。

旧ソ連のトップジュニアだった母親たち

旧ソ連のトップジュニアだった母の指導で、テニスの才能を磨いた 【スポーツナビ】

 そんな彼のテニスの根幹を支えてきたのは、少女時代は旧ソビエト連邦のトップジュニアとして活躍し、後にコーチとして自らのアカデミーをトロントに開業する、彼の母親だ。

「母は練習の時は、僕が初めてラケットを手にした5歳の時から、本当に厳しかった。コートに立ったら、ふざけたり冗談を言ったりするなと、きつく言われてきた。それはきっと、彼女自身が子供の頃に、ソ連で教わってきたことでもあるんだと思う」

 旧ソ連にルーツを持つ選手たちは、実は現在、男子テニス界の新世代を構築する一大勢力だ。既にトップ10入りも果たしている20歳のアレキサンダー・ズベレフ(ドイツ)も両親はソ連出身で、彼もやはり、元プレーヤーである母の手ほどきを受け、幼少期よりテニスに打ち込んできた。しかもシャポバロフの母親とズベレフの母親は、いずれもロシアのトップジュニアとして、幾度も顔を合わせた仲だったという。両親から受けてきた“ソ連式ドリル”――それらがもしかしたら、彼ら台頭する次世代に通底する心技体の礎なのかもしれない。

「確かに今、僕やサーシャ(アレキサンダーのニックネーム)、アンドリー・ルブリョフ(ロシア)など、若い選手にはロシア系が多いよね。
 ロシアでは、テニスがすごく盛んで人気だった時代があったから、その財産がまだ残っているんじゃないかな? 特にその頃は、若くて優秀な女子選手がたくさんいた。僕とサーシャの母も、ロシアが生んだ優秀なジュニアの一人だと思う。単なる偶然かもしれないけれど、もしかしたら、その頃からのつながりもロシア系が強い理由なのかもしれない。当時ロシアでテニスの育成を受けていた人たちが、今は良いコーチになり、良い選手を教えているのかもね」

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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