「ケガで大変な思いをしたけれど…」 フィギュア宮原知子、復帰への心境語る
「どうしていいか分からなかった」
疲労骨折と聞いたときは「呆然とした」。それでも気持ちを切り替えて、ケガの治療に専念した 【坂本清】
これまでもたまに痛いときがあったんですけれど、あまり気にはしていなかったんです。でも昨年12月のGPファイナルに出発する日に痛くなって、そこから痛かったり、痛くなかったりする日が続きました。2週間後の全日本のころにはもう毎日痛い感じでしたね。その後も練習はしていましたが、やはり痛みが引かなくて……。それで1月に病院に行って検査したところ、疲労骨折と診断されました。
――それを聞いたときの心境は?
「なんで疲労骨折なのかな」と。そのときは受け入れられなかったですし、呆然とする感じでした。ここまで大きなケガは初めてですし、自分でもうまく認識できていなかったです。3日間ほどは、試合に出るか出ないかは決定していなくて、このまま練習してもいいのか、今は休んだ方がいいのか、どうしたらいいか分からなくて、何も考えられませんでした。でもしばらく休むと決めてからは切り替えて、「変に練習しても悪くなるだけだから、今はケガを治すことに集中しよう」と、スケートをできないということを考えないようにしました。
――滑れない時期はどう過ごしていたのですか?
平日は東京のJISS(国立スポーツ科学センター)でリハビリをして、週末は京都に帰って、今までにないような時間を過ごしていました。本当はダンスに行きたかったのですが、上半身だけだと難しいので、音楽を聴いたり、映画を借りて見たりとか。今までそういうことをしてこなかったので新鮮でしたし、感情の幅が広がったと思うのでよかったです。
選手としての体を維持するために、体重をあえて増やしたという。オフのときにもしっかり食べることを意識している 【坂本清】
今までは多少痛くても、いつの間にか治っているのが普通だったので、ひたすら練習して、自分の体を追い込んでいましたが、これからはそうはいかないと思います。もちろん追い込む練習も必要なのですが、体のケアをしっかりしたり、運動したぶん、きちんと栄養を取ったり、そういうところにも気を配るようになりました。
――体重をあえて増やすようにしていたそうですね。
ケガをしたときに、骨密度の部分でやせすぎだったようで、もう少し体重を増やしたほうが骨にもいいということでした。選手としての体を維持するために、エネルギーが枯渇している状態から、骨だけではなく、筋肉にも栄養が回るように、体重を少し増やしたんです。体重が増えたからと言って重くなるわけではなく、そのぶんパワーがつくので、しっかり食べて、トレーニングをして、体作りをしていました。
――食べる量も増やしたのでしょうか?
元々すごく食べる方ではあったのですが、試合になるとどうしても体重が減ってしまうことが多くて、そのぶん補食を取り入れていました。今まではオフのときだと、気にしてあまり食べない日もあったんですね。でも、オフの日だからこそしっかり食べないといけないということを学んだので、全体的には量が増えているかもしれないです。
「自分は地味なスケーターだと思う」
みんなすごく点数が高くなってきたなと思いましたし、自分がもしそこで滑って完璧な演技ができたら、どれくらいの点数が出たんだろうなとも思いました。ただ、焦りとかはなくて、自分が復帰したときに、これを超えるくらいの演技をしようと刺激になりました。
――五輪の出場枠は2つです。激戦が予想されますが、4年前の経験を生かせるとしたらどういう部分でしょうか?
4年前はトップを争う選手たちが全日本にきっちりと合わせてきて、素晴らしい演技をしていました。トップ選手の強さを間近で感じることができて、自分がシニアに上がってからは、「私もそうなりたい」という目標や憧れになっています。そういう選考会を目の前で見たからこそ、今回その気持ちが自分にも分かると思うので、先輩たちの強さを見習いたいと思います。
――スケーターとして、どういうキャリアを積み重ねていきたいですか?
結果はしっかり出していきたいです。それに加えて、人の心に刻まれるような、演技をもう1回見たいと思われるようなスケーターになりたいと思っています。
「自分は地味なスケーター」と宮原。それでも結果をしっかり出し、人の心に刻まれる演技をしたいと理想を語る 【坂本清】
何か1つ大技があるというわけではなく、1つ1つの技をコンスタントにこなしていく地味なタイプのスケーターだと思っています(笑)。
――宮原選手にとって、五輪はどういう位置づけになっていますか?
ずっと五輪を夢に見てきました。今回目標として掲げられるシーズンになって、やっぱり一番出たいと思える試合です。
(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)