7度目の引退を目前に控えた大仁田厚 「青春が詰まった後楽園で幕を引きます」

ミカエル・コバタ

プロレスラーは人の記憶に焼きつかなきゃダメ

大仁田の代名詞でもある電流爆破。その遺伝子継承が、最後の5年半の使命でもあった 【写真提供:大仁田事務所】

――プロレス業界は以前より熱が下がってきたと、肌で感じられましたか?

 そうだね。新しい人にメッセージを投げかけるとしたら、ネタになるようなプロレスラーにならなきゃダメ。BI砲はネタになった。ボクもこの前、新日本の会場に行ったときに長州(力)さんから言われた「またぐなよ!」が、「アメトーーク!」(テレビ朝日系のバラエティ番組)でネタになってたけど。

 その件だけど、そのとき、佐々木健介や越中(詩郎)とか10人くらいいて、「またげるわけねぇーだろ、バカヤロー!」って(笑)。そういう歴史の中に、人の記憶に焼き付けるようなものがなければ、ネタとして出てこないんだ。それから、東京ドームとか、川崎球場(現富士通スタジアム川崎)とか、もう1度その規模までという気持ちもあったけど、限られた時間のなかで、そこまでできなかった。

――昔、大仁田選手の「オマエらがいる限り、FMWは絶対に潰さん!」という決めゼリフがありました。最近だと、オカダ・カズチカ選手の「新日本にカネの雨が降る」というのがありますよね。

 うーん。意外ときれいなものは印象に残らないんじゃないかな。泥臭いものの方が印象に残るんじゃないかな。きれいな感じで叫ぶより、ボロボロになって叫んだ方が説得力がある。ボクは映画が好きで、年間600本くらい見るんだけど、そのシーン、シーンを目に焼き付けるんですよ。それで後になって、「ああいうシーンがあったな」って思い出す。そういうことがなきゃダメなんじゃない。

最後の電流爆破はFMW旗揚げの地・名古屋で

青柳館長(中央)とはFMW旗揚げの地・名古屋で最後の激突 【写真提供:大仁田事務所】

――戻ってきて、使命感のようなものはあったのでしょうか?

 ボクが生んだ電流爆破をどれだけ感じてくれるかという使命感はあったんじゃないかな。何と言われようとボクは自己中ですから。ボクが生んだ電流爆破を認めてくれた人間が曙選手だったり、高山選手だったり。いろいろな選手が入ってきた。KAIとかも、今度はミノワマンも入る。

――10月29日、名古屋国際会議場大会では、KAI選手と組んで、ミノワマン選手、青柳政司選手と最後の電流爆破で対戦しますね。

 そうだね。ミノワマンは格闘技界からも爆破に入ってくる。プロレスのリングに上がってくる。潔いよ。ボクは嫌いじゃないし、どちらかと言えば、好きなタイプ。実直だしね。正直どんな試合になるか分からないけど、引退2日前に、こんなカードがあって……彼がリングに上がってくるのが楽しみですよ。1回だけタッグを組んだことはあるけど、初対戦だから、どうなることやら。

――青柳選手はバイク事故で右足を複雑骨折して引退して、この日のために1日限定復帰となりますが、医者からは「蹴ったら、また折れるかもしれない」と宣告されているそうです。

 来るからには、迎え撃つしかしょうがない。「たとえ折れても、もう1度大仁田を蹴りたい!」と言って出てくるんだから、もう覚悟の上でしょ。

――平成元年10月、FMWは名古屋で旗揚げして、青柳選手と対戦しました。28年の月日を経て、最後の電流爆破を名古屋の地で行うのは運命的なものでしょうか?

 青柳館長なくして、今のボクはなかった。逆に、ボクの存在なくして、その後の青柳館長はなかったでしょ。不慮のバイク事故で、こういう状況になったんだけど、これも運命でしょう。

「後楽園でできる最大限のデスマッチをやって、幕を引きますよ」。それが大仁田の決意だ 【スポーツナビ】

――爆破王のベルトは戦ってきた結晶のようなものでしたか?

 そうだね。愛着あるしね。自分の弟子はかわいいし、田中将斗が継承してくれるのはうれしいし、頑張ってもらいたい。あとは自分自身。手取り足取り教えたって、自分で築くもの。血と汗と涙でね。どこまでアイツがやるか。もしかしたら、電流爆破はオレ一代限りで、ダメになっていくかもしれないし……。

――ZERO1以外の団体が、電流爆破をやろうと思ったら、大仁田選手に許可を取らなきゃダメなんですか?

 いやもう、勝手にやればいいよ!

――引退試合の会場を後楽園にしたのはなぜですか?

 当初は旧川崎球場でやりたかったんですよ。でも、もうあの場所は、思い入れのある川崎球場ではなく、サッカーやアメフトの会場なんだよ。ZERO1・超花火が、11月3日に川崎市スポーツ文化・総合センターで開催する「電流爆破フェスティバル」に出てくれとか言ってたけど、そこは昔の川崎市体育館で、川崎球場とは全然場所が違うじゃない。旧川崎球場でやらないなら、デビュー戦をやって、全日本で最初の引退式をやったりして、青春がいっぱい詰まった、駐車場で風穴が開いた後楽園にしようと思ったんです。後楽園でできる最大限のデスマッチをやって、幕を引きますよ。

<了>

【大仁田厚プロフィール】
1957年10月25日、長崎県長崎市生まれ。73年10月、旗揚げしたばかりの全日本プロレスに新弟子第1号として入門し、故ジャイアント馬場に師事。74年4月14日、後楽園ホールでの佐藤昭雄戦でデビュー。82年3月にNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を奪取するなど、同団体のジュニア戦線で活躍。83年4月20日、東京体育館でのヘクター・ゲレロ戦で左膝蓋(しつがい)骨を粉砕骨折し、プロレスラーとしては致命的なケガを負う。その後、復帰はしたものの、本来のファイトはできず、85年1月3日、後楽園で引退式を行う。88年12月3日、ジャパン女子プロレスのリングで復帰。89年10月、FMWを旗揚げ。有刺鉄線、電流爆破など過激デスマッチ路線で、同団体をけん引し、“涙のカリスマ”と呼ばれる。95年5月5日、愛弟子のハヤブサを相手に、川崎球場で2度目の引退。96年12月に2度目の復帰。これまで6度の引退、復帰を繰り返し、今回が7度目の引退となる。
2001年に自民党から参院選に出馬し当選。

■「さよなら大仁田 さよなら電流爆破 ファイナル」
10月31日(火)東京・後楽園ホール 試合開始18時30分


【対戦カード】

<開会宣言>
ただ今妊娠中! おめでたミス・モンゴル

<第1試合 後楽園ホールで電流爆破(風)!?>
太仁田ブ厚
パンディータ

<第2試合 インディペンデントワールド・バトルロイヤル 100万円争奪マッチ>
[出場選手]リッキー・フジ、フライングキッド市原、超電戦士バトレンジャー、ワイルド・セブン、ワイルド・ベアー、ワイルド・コモン、ワイルド・キャット、友龍、佐野直、佐瀬昌宏、326、マッチョ・マイケルズ、雷電、ショッカー、寺尾利明、櫻井匠、亀田勝

<第3試合 FMW女子一夜限りの復活!! ミックスドマッチ!>
ダンプ松本、ZAP、怨霊
クラッシャー前泊、バッドナース中村、寧々∞D.a.i

<第4試合 プロレスリングZERO1提供試合>
田中将斗、TARU、菅原拓也
大谷晋二郎、小幡優作、ショーン・ギネス

<大仁田厚引退セレモニー>

<第5試合 メインイベント 大仁田厚思い出の聖地・後楽園ホール最期のデスマッチ!! ストリートファイトトルネード・バンクハウスデスマッチ>
大仁田厚、雷神矢口、保坂秀樹
藤田和之、ケンドー・カシン、NOSAWA論外

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