代表初得点も、危機感を募らせる杉本健勇 遅咲きの大型FWが口にした自らの課題

元川悦子

「どんなゴールでもいいと思っていた」

ハイチ戦で代表初ゴールを奪った杉本。「どんなゴールでもいいと思っていた」と口にした 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 長谷部誠、本田圭佑、岡崎慎司の30代3人の招集を見送り、新戦力のテストと位置付けられた10月の日本代表の親善試合2連戦。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督は、6日のニュージーランド戦では川島永嗣、吉田麻也、山口蛍、大迫勇也ら主力を軸としたチームで戦ったが、10日のハイチ戦は先発を9人入れ替えた。9月5日(現地時間)のワールドカップ(W杯)アジア最終予選のラストとなったサウジアラビア戦でA代表初キャップを飾り、この日が3試合目となる187センチの大型FW杉本健勇も初めて先発に抜てきされた。

「先発のチャンスをもらえたら、しっかり自分のプレーをやりたい」と彼は試合の前日、静かに意欲を口にした。ちょうど4年前、最終予選直後から本格的に代表に呼ばれ、2014年W杯ブラジル大会行きを勝ち取ったセレッソ大阪の先輩・柿谷曜一朗の姿に自身を重ね合わせ、「自分もほとんど同じ状況ですし、最後まで残っていけるようにしたい」と本大会への生き残りを誓っていた。

 迎えた試合当日。相手が約半年間にわたって試合をしていない急造チームということもあり、序盤は一方的な日本ペースだった。杉本は開始早々の7分、倉田秋からの縦パスをおさめて長友佑都に展開。そこに倉田が入ってきて先制点を挙げるという、ゴールへの流れに関与した。大迫勇也や武藤嘉紀といった1トップのライバルに比べて、相手を背負うプレーを苦手とする印象が強かった杉本だが、この日のポストプレーは入りからスムーズだった。

 その10分後には、再びペナルティーエリアギリギリの場所で浅野拓磨からパスを受けた杉本は倉田へ流し、フィニッシュをお膳立てする。これがGKにはじかれたところに詰め、左足を一閃(いっせん)。ボールが地面をたたいて浮き球になるラッキーシュートで2点目をゲット。待望の代表初得点を奪うことに成功した。

「バウンドだった? どう見てもたまたまです(笑)。でもあれを決めるか決めないかで、大きく変わってくると思うので。どんなゴールでもいいと思っていましたし、それが結果につながったので良かったと思います」と本人は泥臭い1点を素直に喜んだ。

C大阪復帰後はエースFWとして成長

C大阪ではここまで得点ランク2位の16ゴールをマーク。エースFWへと成長した 【写真:アフロスポーツ】

 ここまでは理想的な試合運びだったが、日本に慢心が生まれたのか、肝心な守備が一気に崩れ始める。杉本も前線から献身的なプレッシングに行こうとするが、周りとの呼吸が合わない。ハイチが前半28分に日本のミスを突いて1点を返し、後半8分に同点弾を挙げると、負の連鎖から攻撃陣までもが膠着(こうちゃく)状態に陥ってしまった。

「相手のラインが低いからスペースがあったし、俺は1回引いてからボールを受けて落として、サイドに展開してから中に飛び込んでいくという流れを作りたかった。でも、監督から『あまり下がってくるな』と言われているので、ちょっと難しいところがありました。自分はボールを触らなかったから、リズムもできないので、本当は動いてそうしたいけれど、1トップなので真ん中にいないと、攻撃が機能しなくなってしまう」と杉本自身、チームの約束事と自身の特徴をどうかみ合わせていくかに悩み続けた様子だった。

 その解決策を探っている最中に、指揮官は大迫を送り込む決断をする。杉本は1点こそ挙げたものの、消化不良感を抱いたまま、後半19分にベンチに下がった。試合は3−3のドロー決着に終わり、「ロシア(W杯)へ生き残れた感? ないよ、全然」と本人も厳しい表情を浮かべるしかなかった。

 日本人には珍しい高さと速さ、高い技術を兼ね備えた杉本は、15年3月の日本代表監督就任当初からハリルホジッチ監督に「クオリティーが高い」と注目される存在だった。川崎フロンターレに在籍していた当時の彼は、試合に出たり出なかったりと不安定な状況だった。それでも、ハリルホジッチ監督は同年5月の国内組合宿での招集に踏み切り、「杉本はあまり試合に出ていないから、勇気づけたい」とまで発言していた。当の本人は「川崎で試合に出ないと、正直話にならないと思う」と苦笑いしたが、本気でロシアを狙える状況ではなかった。実際に、杉本自身もそこまで高い目標は抱いていなかっただろう。

 しかし、16年に古巣・C大阪に復帰後はJ2で14ゴールをマークし、昇格プレーオフを制したC大阪は再びJ1の舞台に戻ってきた。杉本の意識は劇的に変化。クラブのレジェンドである尹晶煥(ユン・ジョンファン)監督が就任し「健勇は前(トップ)で使う」と公言したころは自身も半信半疑の様子を見せていたが、「前をやるに当たっては時間を作ることやポストプレーも必要。FWは後ろ向きのプレーも多くなるし、そこでいかに前を向いて勝負できるかが大事。今年はそういう仕事もできるところを見せて、昨季の14点を上回るゴールを取りたい」と目標を設定した。

 その言葉通り、ここまで(第28節終了時点)でJ1得点ランク2位の16ゴールをマークし、点取り屋としての自覚を強めていった。試合でシュートを外すたびにピッチをたたいて悔しさをむき出しにし、「点が入っても、チームが勝てなければ意味がない」と口癖のように言う姿は、どこから見てもエースFWに他ならなかった。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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