代表初得点も、危機感を募らせる杉本健勇 遅咲きの大型FWが口にした自らの課題
「どんなゴールでもいいと思っていた」
「先発のチャンスをもらえたら、しっかり自分のプレーをやりたい」と彼は試合の前日、静かに意欲を口にした。ちょうど4年前、最終予選直後から本格的に代表に呼ばれ、2014年W杯ブラジル大会行きを勝ち取ったセレッソ大阪の先輩・柿谷曜一朗の姿に自身を重ね合わせ、「自分もほとんど同じ状況ですし、最後まで残っていけるようにしたい」と本大会への生き残りを誓っていた。
迎えた試合当日。相手が約半年間にわたって試合をしていない急造チームということもあり、序盤は一方的な日本ペースだった。杉本は開始早々の7分、倉田秋からの縦パスをおさめて長友佑都に展開。そこに倉田が入ってきて先制点を挙げるという、ゴールへの流れに関与した。大迫勇也や武藤嘉紀といった1トップのライバルに比べて、相手を背負うプレーを苦手とする印象が強かった杉本だが、この日のポストプレーは入りからスムーズだった。
その10分後には、再びペナルティーエリアギリギリの場所で浅野拓磨からパスを受けた杉本は倉田へ流し、フィニッシュをお膳立てする。これがGKにはじかれたところに詰め、左足を一閃(いっせん)。ボールが地面をたたいて浮き球になるラッキーシュートで2点目をゲット。待望の代表初得点を奪うことに成功した。
「バウンドだった? どう見てもたまたまです(笑)。でもあれを決めるか決めないかで、大きく変わってくると思うので。どんなゴールでもいいと思っていましたし、それが結果につながったので良かったと思います」と本人は泥臭い1点を素直に喜んだ。
C大阪復帰後はエースFWとして成長
「相手のラインが低いからスペースがあったし、俺は1回引いてからボールを受けて落として、サイドに展開してから中に飛び込んでいくという流れを作りたかった。でも、監督から『あまり下がってくるな』と言われているので、ちょっと難しいところがありました。自分はボールを触らなかったから、リズムもできないので、本当は動いてそうしたいけれど、1トップなので真ん中にいないと、攻撃が機能しなくなってしまう」と杉本自身、チームの約束事と自身の特徴をどうかみ合わせていくかに悩み続けた様子だった。
その解決策を探っている最中に、指揮官は大迫を送り込む決断をする。杉本は1点こそ挙げたものの、消化不良感を抱いたまま、後半19分にベンチに下がった。試合は3−3のドロー決着に終わり、「ロシア(W杯)へ生き残れた感? ないよ、全然」と本人も厳しい表情を浮かべるしかなかった。
日本人には珍しい高さと速さ、高い技術を兼ね備えた杉本は、15年3月の日本代表監督就任当初からハリルホジッチ監督に「クオリティーが高い」と注目される存在だった。川崎フロンターレに在籍していた当時の彼は、試合に出たり出なかったりと不安定な状況だった。それでも、ハリルホジッチ監督は同年5月の国内組合宿での招集に踏み切り、「杉本はあまり試合に出ていないから、勇気づけたい」とまで発言していた。当の本人は「川崎で試合に出ないと、正直話にならないと思う」と苦笑いしたが、本気でロシアを狙える状況ではなかった。実際に、杉本自身もそこまで高い目標は抱いていなかっただろう。
しかし、16年に古巣・C大阪に復帰後はJ2で14ゴールをマークし、昇格プレーオフを制したC大阪は再びJ1の舞台に戻ってきた。杉本の意識は劇的に変化。クラブのレジェンドである尹晶煥(ユン・ジョンファン)監督が就任し「健勇は前(トップ)で使う」と公言したころは自身も半信半疑の様子を見せていたが、「前をやるに当たっては時間を作ることやポストプレーも必要。FWは後ろ向きのプレーも多くなるし、そこでいかに前を向いて勝負できるかが大事。今年はそういう仕事もできるところを見せて、昨季の14点を上回るゴールを取りたい」と目標を設定した。
その言葉通り、ここまで(第28節終了時点)でJ1得点ランク2位の16ゴールをマークし、点取り屋としての自覚を強めていった。試合でシュートを外すたびにピッチをたたいて悔しさをむき出しにし、「点が入っても、チームが勝てなければ意味がない」と口癖のように言う姿は、どこから見てもエースFWに他ならなかった。