代表初得点も、危機感を募らせる杉本健勇 遅咲きの大型FWが口にした自らの課題

元川悦子

念願のAマッチデビューで得た収穫と課題

出番のなかったオーストラリア戦を乗り越えて、サウジアラビア戦、10月の2連戦と着実に出場機会を増やしていった 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 確かな成長を見せた24歳の杉本をハリルホジッチ監督も評価し、最終予選の大一番、オーストラリア戦とサウジアラビア戦に向けた招集メンバーに満を持して選ばれた。パワープレー要員としての期待が高まる中、本人は「自信がなかったら辞退した方がいい」と言い切り、ピッチに立つつもりで代表初参戦を果たすも、決戦のオーストラリア戦はまさかのベンチ外。その落胆は大きかった。

 それでも「今回は外れましたけど、今はメンタル的にもいい状態なので、出してくれればという感じです」といち早く、次へ気持ちを切り替えた。このように前向きに切り替えられるのが、今の杉本の良さだろう。サウジアラビア戦は念願かなって後半22分から途中出場、待望のAマッチデビューを飾った。

 そして6日のニュージーランド戦でも、後半15分から大迫に代わって登場。ペナルティーエリア左外から強烈シュートを放つ決定機も作ったが、得点には至らなかった。目に見える結果を残さなければ、大迫、岡崎、武藤らがひしめく最前線の一角に割って入ることはできない。日に日に危機感は強まっていった。

 こうした中、ハイチ戦では前述の通り、自ら1ゴールを奪い、倉田の得点をお膳立てするポストプレーも披露した。こうした点は前向きに評価されていいはずだ。とはいえ、「今回は相手も相手。世界に行けば、もっと強いやつもいっぱいいるだろうし、チーム的にも、もっとレベルが高くなると思います。動き出しの部分だったり、裏で左右に動くところは、もっともっとできると思う。自分はどうしても、足元でもらいたがる傾向が強いので、そこは監督からも言われていますし、判断をもっとよくして、裏への動きも増やしたいと思っています」と自身も口にしたように、裏へ出ていく回数が少なかったことは今後の課題だ。

 杉本に代わって後半19分からピッチに立った大迫は、相手守備陣がひしめく狭いエリアでも強引にキープしながら局面をこじ開けようとしたり、一瞬の動き出しで相手の背後を突くなど、1トップとしてのプレーに幅と余裕、質の高さが感じられた。そこがブンデスリーガで培った経験値なのだろう。

自身の武器を研ぎ澄ませ、まずはチームの大黒柱へ

まずはチームを勝利へ導く大黒柱へ、成長なくしてロシアへの切符をつかむことはできない 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 今回、1トップでの出番がなかった武藤もニュージーランド戦では左サイドにいながら裏への意識を強く押し出し、相手を背負ってボールを落としながら起点を作る役割も担っていた。シュツットガルト、マインツ、レスターと欧州3クラブを渡り歩いて、左右両サイドから1トップ、2トップまでこなしてきた岡崎もハリルホジッチ監督の要求に十分応えられる。

 こうした面々と比べると、杉本は代表経験が少なく、周囲のメンバーの特徴を把握し、合わせていく時間が極端に少ない。加えて、普段プレーしている環境も国内リーグであり、それはどうしても不利な要素と言える。

 しかしながら、彼には日本人離れした高さと、屈強なフィジカル、前を向いて果敢にゴール前で勝負できる力がある。そこは指揮官としても捨てがたい部分だろう。11月に予定されているブラジル代表、ベルギー代表との親善試合に招集されるかどうかはまだ未知数だが、監督も「世界のトップとやらせてみたい」という興味は湧いたのではないだろうか。

 杉本にしてみれば、自身の武器を研ぎ澄まし、前面に押し出しすことでしか、ロシアの最終登録のメンバー23名に入る道はない。その枠がいかに狭いものかを実感したハイチ戦は、杉本にとって大いに価値のあるものだったはずだ。

「代表で頑張りたいという思いは強まりました。でも監督も言ってますけれど、今のままではW杯に出るだけになってしまう。まずそこに行くためには、チームでやるべきことが多いですし、もっともっと自分のレベルを上げていかないといけない。チーム(C大阪)でのプレーが、ここ(代表)に呼ばれることにつながると思うので、チームに戻ってしっかり頑張りたいと思います」

 遅咲きの大型FWが語気を強めたように、この1カ月はJ1リーグ戦、天皇杯準々決勝の大宮アルディージャ戦、ルヴァンカップ決勝の川崎戦と3つのトーナメントで全力を出し切ることが肝要だ。9月9日の第25節、FC東京戦から約1カ月の間、ゴールから遠ざかっているだけに、まずは結果を残すことが最優先だ。チームを勝利へ導く、点の取れる大黒柱へ――。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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