本田圭佑がオランダに帰ってきた VVVのレジェンドが振り返る懐かしき日々

中田徹

「昇格イヤー」で健闘を見せるVVV

VVVのレジェンドとなった本田。パチューカの一員として、PSVとの親善試合を戦うためにオランダに戻ってきた 【Getty Images】

「昇格イヤー」を戦うオランダの小クラブ、VVVフェンロが今季のエールディビジ第7節を終えたところで7位と健闘している。右ウイングとして2ゴールを決めているビト・ファン・クローイはクラブのアイドル的存在だ。昨季までVVVのコーチを務めた藤田俊哉さんの長男も「ビトが一番好き」と言って応援していた。

 生粋のVVVっ子であるファン・クローイはゴール裏から旗を振って応援していた子供の頃、本田圭佑に最も憧れていたという。そして、藤田さんがコーチとしてベンチに座っている間、観客席で子供を預かっていたのがイボンヌさんだ。彼女は本田、吉田麻也、カレン・ロバート、大津祐樹、田嶋凜太郎のフェンロ生活を支えた「フェンロの母」である。

 本田とVVVの邂逅(かいこう)によって生まれた日本人とVVVの輪は、指導者S級ライセンス研修の場、育成年代チームのオランダ遠征のベース基地など、今も広がりを見せている。

 フェンロは人と人との距離が近く、そしてフットボールの匂いがする町だ。VVVがナイトゲームで勝つと、町の広場に連なるカフェに市民が溢れ、やがて選手たちもやってくる。試合後の夜の華やぎが私は好きだった。こうした広場の日常に、本田も風景の1つとなって溶け込んでいた。オープンテラスのカフェで本田とパトリック・パーウベが何やら熱心に話し合っていても、人々は放っておくだけである。

 この広場はVVVが2部リーグ優勝を果たすと、クラブと市民が喜びを分かち合う特別な晴れ舞台となり、2009年にはキャプテンを務めた本田が優勝盾を掲げながら「アイ・ラブ・フェンロー!」と絶叫した。

 09−10シーズン前半戦のVVVはハツラツとした攻撃サッカーで、オランダのサッカーファンを魅了。中でも本田はテクニック、得点力、リーダーシップを発揮して全国的な人気を博し、VVVのレジェンドとして、CSKAモスクワ(ロシア)に旅立っていった。

親善試合を戦うため、本田がオランダへ

親善試合ではトップ下、センターFW、ボランチと複数のポジションでプレー(写真はパチューカでのデビュー戦のときのもの) 【写真:ロイター/アフロ】

 そんな本田がパチューカの一員として、PSVとの親善試合を戦うためにオランダへ戻ってきた。トップ下としてスタートした本田はその後、センターFW、再びトップ下と頻繁にポジションを変えていき、終盤に退場者が出た後はボランチも務めた。試合は0−0で終わった。

 PSVとの試合を見ていて、私の脳裏をよぎったのは、09−10シーズンの開幕戦、フィリップス・スタディオン(PSVのホームスタジアム)で行われたPSV戦だった。強豪相手に2点のリードを許したVVVだったが、あの日の本田は体がキレまくっており、PSVの選手たちを翻弄(ほんろう)。1ゴール1アシストを記録した。結果は3−3のドローだった。当時の本田の試合後のコメントを読み返すと感慨深い。

――最初ヘディングシュートがあって、「おっ、やるな」と思いました。その後ティミー・シモンスから激しいマークを受けました。

「オーラをシモンスから感じていました。ベルギー代表でも何回かマッチアップしていたので、「もうお前のことは分かっている」と言わんばかりに前半は何回も(激しく)きた。でも途中からこなくなったので『びびっているな』と思いながら(やっていた)。悪いけれど、俺の勝ちかなと思いました」

――1ゴール1アシスト。その一方で、2部リーグの時とは違ってボールを失うシーンも多かった。ああ、1部リーグで戦っている本田を見ている。そう感じていました。

「ひとつ言えるのは、自分1人では何もできないということです。それは今日の試合でも思い切り痛感させられた。結局アーメッド(・アハハウイ)とルベン(・スハーケン)のゴールに救われて、結局1点しか取れていないので。チームに助けられて、引き分けることができました。

 自分がもっと相手にとって驚異的な存在にならないといけないという気持ちでいます。もっと成長できると思っているし、去年から今にかけて、成長できているというのをすごく感じています。それは僕自身、すごく楽しみにしていることですし、みんなも期待してもらってけっこうかなと思っています」

――オランダリーグで十分通用するドリブルになりました。

「オランダのおかげです。オランダリーグにこなかったら、絶対これは身に付いていなかった。俺はチームメートから学んでいきます。サミエル(・エル・ガアアウイ)やルベンから去年学びましたし、ゴールの意識は(サンドロ・)カラブロから学んでいる。今もそれは同じで、彼らの飽くなき欲求というか、そこにすごく感心させられることが多いです」

――家を出る前、PSVのファンフォーラム(ファンが集う掲示板)を読んできたのですが、PSVのサポーターは本田選手が加入することを望んでいます。そして「今日は3万3000人のスカウトが本田を見にくる」と書いてありました。

「(今日の試合では)俺的には満足していない部分がある。点を取ったことに関しては満足しているんですけれど、もっとやれたと思っていました。『本田はエールディビジでもできるやん』という以上のレベルに俺は突入していかないといけないと自覚しています。極端にいえば、誰も止められない存在に、今年1年で突入していきたいと思っています。去年のジュピラーリーグ(ベルギーリーグ)での俺の存在みたいなね。

 まだ、そこにはいけていないことは分かっているんですけれど、それを求めないといけないし、それが自分の課題だと思っています。だから、ドリブルをもっと増やしていく必要がある。若干読まれている部分はあるけれど、それはうれしいことです。評価されているということだから。それを打開していきたいと思っています」

フットボールが紡ぐ、人と人との縁

本田は「フェンロに関しては僕が1つ切り開いた部分があった」と振り返る 【写真:アフロ】

 ピッチ上のアドレナリンが、言葉となって本田の口からほとばしっていた。あの試合から8年が経った。

「まず、僕の海外での成功は『オランダありき』なので、やっぱりいい思い出があります。このスタジアムで点を取ったという思い出もある。懐かしい感じ、戻ってきた感じはありますね。ウォーミングアップのときから、大人だけではなくて、子供たちが『ホンダ、ホンダ』と言ってくれる。僕がここにいたのは7、8年前なので、今10歳ぐらいの子は当時2、3歳だったはず。お父さんが教えているのかな。こういうふうに『ホンダ、ホンダ』と言ってくれるのは、他のヨーロッパではなかなかない。ちょっと懐かしい感じはありますよね」

――今日はハイ・ベルデン会長、イボンヌさんも来ている。今、VVVのトップチームで活躍するウイング(ファン・クローイ)は、子供の時、デ・クール(VVVのホームスタジアム)のゴール裏から、本田選手を応援していたそうです。

「VVVは今、(7位と)調子が良いんですよね。僕らのときも1回、9位くらいまでいってフィーバーしていた。だから、今もフィーバーしているんだろうなと思います。しかも、自分がプレーしてたころに、横のグラウンドでプレーしていた小さな子供たちが(ピッチに)立っていると思うと、やっぱりいつかくる世代交代が、どこのチームでも行われていると感じます。それは素晴らしいことですよね。そうやってDNAが受け継がれていく。フェンロと試合ができればよかったんですけれど、それはさすがに難しいので。(CSKAモスクワに移籍する前は)モスクワに行かずに、PSVにきていた可能性もありました」

――最初、テストを受けたのはPSVだったと聞いています。

「はい。実際、モスクワに行く前に、PSVも興味を持ってくれていたんですよね」

――1000万ユーロ(約13億3000万円)の移籍金で破談になったんですか?

「そうですね。CSKAが700万ユーロ(約9億3000万円)ぐらいだったと思います。でも、PSVはフェンロの選手を絶対に700万ユーロでは獲らないから(笑)。そういうのもあって、オランダは良いですね。懐かしいです。しかも、良い選手が多い。

(今回のPSVは)代表選手が(ワールドカップ予選に参加していて)7、8人いないという話だった。それでも若い選手は良いです。『こいつは見たことがないな』という選手も、良いドリブルをする。相変わらず、オランダのアタッカーは良い選手が生まれるなという印象です。」

――本田選手は自分で道を切り開きたいという思いがあって、オランダにきました。その後、多くの日本人がそれに続いています。

「オランダは、僕がくる以前にも小野伸二さんや、小倉(隆史)さんがいました。僕が完全なパイオニアというわけではないですけれど、フェンロに関しては僕が1つ切り開いた部分があって、それに(吉田)麻也が続いた。今後も若い選手がきてほしいと思っています」

――藤田さんのように指導者もオランダにやってきました。

「そういう意味では、僕がすごいというよりも、日本人との懸け橋になろうとしたベルデン会長のアンビション(野心)は本当に素晴らしいものがあるなと思います。彼の意思決定がなければ、やっぱりこうはならなかったと思うので、彼自身が評価されるべきだと思います。日本にもVVVファンクラブがあるようですから、本当に素晴らしいことです。あんな小さいクラブを日本人が知るなんて、普通はありえないですから」

 フットボールが紡ぐ人と人との縁。今年いっぱいで会長の座を退くベルデン会長は、妻とともにバックパッカーとして日本の田舎を巡るのが夢だ。そこでまた、新たなVVVと日本人の縁が生まれるのだろう。
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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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