大田泰示、「全力プレー」の原点 紆余曲折の野球人生をたどる

週刊ベースボールONLINE

新天地で取り戻した「楽しむこと」

期待されながらも思うような結果を残せなかった巨人時代。自問自答する日々が続いた 【写真:BBM】

 想像以上の重圧は、ひたむきな大田を押しつぶしていった。巨人に入団すると、松井以来の準永久欠番として扱われていた背番号「55」を背負った。1年目からプロ初アーチを放つも、主戦場は2軍だった。

「プレッシャーだとか、いろんなものを感じながら4年目までガムシャラにやった」

 無情にも結果が付いてくることはなく、5年目には背番号「44」に変更。不振に陥り、代名詞の「全力プレー」から遠ざかった。

「早くレギュラーを取りたいという気持ちより、何かちょっとズレたところに自分の気持ちがあった。プロ6、7、8年目と危機感を持って、これでレギュラーが取れなかったらとか、本当に1.5軍で終わる選手になるのかな……とか、そういうプレッシャーに変わってきて。周りのプレッシャー、期待感も感じて取り組んできましたけど、やっぱり成果が出なかった」

 だからこそ、転機を前向きに受け入れられた。16年オフ、プロ8年目の終わりに日本ハムへのトレードが決まった。

日本ハムに移籍1年目の今季、「野球の面白さや楽しさを感じながらプレーできている」と語る 【写真:BBM】

「またゼロからスタートができる。よくみんな心機一転というけど、まさにそれ。気持ちをまたフラットにさせてくれるトレードだった」

 見失いかけていた自分を取り戻してくれた。栗山英樹監督ら首脳陣からは、声をそろえて「一生懸命やってくれるだけでいいから」と言われ、勇気づけられた。

「本当に自分の中では、野球人生の大きな分岐点になったと思っています」

 移籍1年目の今季、どうしても届かせたい数字があった。100安打。巨人時代の合計安打数で、大田にとっては超えなければいけない目標だった。迎えた9月27日のオリックス戦。その瞬間は訪れた。延長11回2死。思い切りよく振ったバットで決勝弾を生み出した。100安打目を豪快なスイングで飾った。お立ち台では「すごく自信になる。一生懸命、チャンスで打てるようにこれからも頑張ります」と「全力プレー」を掲げた。

 100安打到達前には、体を痛めたこともあった。それでも気持ちが切れることはなかった。少年時代に純粋に、全力で白球を追いかけた熱い気持ちは奥底にあり続ける。

「自分が活躍して、みんなと一緒に1球のボールを追いかけて、楽しく野球をやっているのが自分らしい。その気持ちは忘れない。つまらないときもあるけど、野球の面白さや楽しさを感じながらいまはプレーできている」

 全力で毎日大好きな野球ができることの幸せ。大田はそれを噛みしめながら、信じた道を走り続ける。

文=熊谷僚(スポーツライター)、写真=高原由佳、BBM

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