2004年 最後にして最大のCS<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

04年のCSが「最後にして最大」となった理由

証言でつづる「Jリーグ25周年」。今回は04年のCSについて、当時の監督に振り返ってもらった 【宇都宮徹壱】

 2017年7月17日、埼玉スタジアムで鈴木啓太の引退試合が行われた。元日本代表であり、16シーズンにわたり浦和一筋だった鈴木は、前半は日本代表の元チームメートたちによる「BLUE FRIENDS」(ブルーフレンズ)に出場して2ゴールをゲット。後半はユニホームを青から赤に替え、「REDS LEGENDS」(レッズレジェンズ)の一員として、現役時代を彷彿(ほうふつ)とさせる全力プレーを随所に見せていた。このところ苦しい戦いが続き、殺伐とした雰囲気が常態化していた浦和のゴール裏も、この日ばかりはほっこりモード。鈴木をはじめピッチ上のレジェンドたちに、懐かしいチャントやコールを送り続けていた。

 この引退試合では、両チームの指揮官にも注目が集まった。ブルーフレンズは岡田武史、そしてレッズレジェンズはギド・ブッフバルト。ワールドカップ(W杯)2大会で指揮を取った日本を代表する名将と、現役時代に2度のW杯出場のキャリアを持つドイツ人指揮官。この両者の顔合わせに、横浜F・マリノスと浦和による04年のJリーグ・チャンピオンシップ(以下、CS)の記憶を重ねたファンも少なくなかったのではないか。

7月に行われた鈴木啓太の引退試合には、04年のCSに出場した選手や監督が数多く集まった 【(C)J.LEAGUE】

「Jリーグ25周年」を、当事者たちの証言に基づきながら振り返る当連載。第8回の今回は、2004年(平成16年)をピックアップする。ギリシャのアテネで夏季五輪とパラリンピックが行われ、プロ野球が球界再編問題で揺れたこの年、Jリーグの終盤戦は久々の盛り上がりを見せていた。この年のセカンドステージ、浦和が持ち前の攻撃サッカーを展開して見事に優勝。クラブ史上初となるステージ優勝に、ホームタウンであるさいたま市の尋常でない盛り上がりがメディアで取り上げられ、ある種の「社会現象」として注目されるまでになった。

 こうした状況の中で開催されたのが、同年12月に開催されたCSである。浦和が対戦することになったのは、ファーストステージの覇者であり、前年に完全優勝している横浜FMである。前年の03年のみならず、その前の02年もジュビロ磐田が完全優勝していたため、CSが行われるのは実に3年ぶり。加えて05年からは、1ステージ制への移行が決定しており、CSは04年で終了となる。こうした状況に加えて、日本を代表するビッグクラブ同士の対戦となったことで、この年のCSは「最後にして最大」の大会として記憶されることとなった。

7年ぶりに監督として帰ってきたブッフバルト

04年、ブッフバルトは7年ぶりに監督として浦和に復帰した 【(C)J.LEAGUE】

「04年のことは、もちろんよく覚えています。というのは、自分にとっては初めて監督としてチームを率いた年ですからね。それまでにもドイツで、(クラブの)マネジメントやアドバイザーとして絡むことはありましたが、監督の経験は(浦和が)初めてでした」

 オールドファンにとってのブッフバルトといえば、1990年のW杯イタリア大会決勝で、ディエゴ・マラドーナにほとんど仕事をさせなかった鉄壁ぶりが印象深い。そんな彼も、今年で56歳。さすがに老眼鏡は手放せなくなっていたが、見上げるような長身と引き締まった体躯(く)は現役時代とほとんど変わらない。現在はフットボールの現場から離れ、シュツットガルトの監査役を勤めているという。今回、鈴木の引退試合で来日したタイミングで、都内でのインタビュー取材が実現した。

 あらためて、日本におけるこの人のキャリアを振り返っておきたい。米国でのW杯出場を最後にドイツ代表から退き、94年8月から浦和で4シーズンにわたりプレー。97年のシーズン終了後に行われた退団セレモニーでは、白馬に乗って登場するパフォーマンスを披露して話題になった。ドイツに帰国してからは、カールスルーエSCで1年半プレーして現役を引退。以後、古巣であるシュツットガルター・キッカーズでアドバイザリー・スタッフとなる。もっとも、浦和とのやりとりはその後も続いていたようだ。

「現役を引退してからも、レッズのアドバイザーとして当時社長だった犬飼(基昭)さんとは連絡は取り合っていました。実はそれ以前にも『ぜひ(監督として)来てほしい』というオファーはいただいていたのですが、その時はシュツットガルター・キッカーズやカールスルーエとの契約が残っていました。それから監督のライセンスを取得して、ドイツでの仕事も一段落ついたときに、再び浦和からオファーをいただきました。そこで『時は来た』と思いましたね」
 かくして04年、ブッフバルトはハンス・オフトの後任として、浦和の監督に就任する。97年に帰国して以来、実に7年ぶりとなる日本。しかも今度は、監督としての来日である。自ら「第二の故郷」と語る日本の国内リーグには、どんな印象を抱いたのだろうか。

「プレーの質に大きな差はありませんでしたが、クラブがよりプロフェッショナルになったこと、そして若い選手の戦術理解能力が高くなった印象を受けました。幸い浦和レッズのサポーターは、私を温かく迎え入れてくれました。それは(監督の)仕事に取り組む私に大きな力となりましたし、仕事しやすい環境を作ってくれたことには、今でもとても感謝しています」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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