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伊達公子、現役生活2度目の幕引きへ
充実の9年半で「やめたくない」思いも

「自分ができることを最大限やった」

常にその時できる100パーセントを求めてやってきたことで、「後悔もしていない」と話す
常にその時できる100パーセントを求めてやってきたことで、「後悔もしていない」と話す【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

――たくさんの子どもたちが夢を抱くように、伊達選手もジュニアの頃から多くの夢を抱いてきたと思います。今、その夢はかなえられたと思いますか?


 そうであってほしいと思っています。でも、それは私自身が決めることでも判断することでもないと思っているので、それが今なのか、この先5年後、10年後、もしかしたら死んだ後かも分かりませんが(笑)、そう思ってくれる人が多くいてほしいと思いますし、そう思ってもらえるだけのことは自分でしてきたつもりでいます。


 自分のやってきたことに対して、どんな状況でも最後までアスリートとして勝負にこだわってきましたし、20代の頃よりもフィジカルに関してははるかに考えるようになって、向き合って、何を自分が必要とするのか、自分で考えました。当然サポートしてくれる人たちの力があってのことなのですが、ただ言われることをやるだけではなくて、言われることに対して十分理解しようとする気持ちを持って、何ごとにも取り組んできたつもりです。自分に対しても……それだけのことをやってきたという強いを思いを持っているので、その先にそう思ってくれる人が一人でも多くなればうれしいです。


――ご自身の中で納得している部分もあるということでよいのでしょうか?


 納得していないことは、まったくないですね。再チャレンジでやってきた9年半という時間の中で、もっとやりたい、やれたことがもっとあったんじゃないか、あの時にもっと違うやり方をしていればもっと違ったのではないかという思いは当然ゼロではないです。アスリートでいる以上は当然です。ですが、その時その時で100パーセント、自分はそれを信じて、今自分ができることとして最大限やったという思いはあります。常に完ぺきはないのですが、その追求心がなくなったらアスリートではありません。常に101パーセントを求めるのがアスリートだと思うので、私はできるだけ常に100パーセントを求めてやってきていたので、後悔もしないし、それだけの思いはあるかなと思います。


――ほかのアスリートの方からも、尊敬や引退を惜しむ声が聞こえています。そういった声に対してどう思いますか。


 それぞれのフィールドで活躍されているアスリートの方たちから心強い言葉をいただくのはうれしいです。


 アスリートにとっては20代、30代前半が最も力を発揮しやすい年齢だと思いますが、今は私が20代だった頃に比べると、本当にたくさんの年齢を重ねたアスリートもいます。テニスだと個人スポーツですし、ボディコンタクトもないですし、監督から選ばれて出場する機会を得るスポーツでもないです。そういうことを総合的に考えると、テニスというのは年齢を超えて、(経験や力を)生かせる場があるスポーツなのかなというのはすごく感じます。

 今の世界のトップを見ても、30代を超えて活躍している選手たちがたくさんいます。(ロジャー・)フェデラーや(ラファエル・)ナダルも完全復活していますし、女子も30代以上の選手が、トップ10やトップ20の中に少ないわけではありません。


 どうしてもアスリートが30代になればいろいろなことを考えるようになります。引退を考えはじめたり、自分はダメなんではないかとか。私の場合は結果がなかなかついてきませんでしたが、でも自分よりも年齢が上の人たちが歩み続けることは、(30代になった選手たちの)刺激にはなると思うので、そういう意味では私自身も少しでもそれを示すことができたのかなと思います。


 アスリート以外の方たちにとっても、私も(再チャレンジの)スタートの時はそうでしたが、どうしても結婚をして、女性が社会の中で生きていくというのは難しい部分もまだまだ残っていると思います。その中で、何か夢を持つことすら、何かを動き出すことすら、妥協してしまうところを、そこには年齢は関係なく、自分がやりたいことを思い続けること、それをやり始めること、やり続けること。そこに少しの勇気を持てば、まだまだ自分の世界は切り開けるということを、示すことは少しできたのかなという思いはあります。


――不屈の闘志でやってこられたと思います。その伊達選手の、引退の直接の原因になった肩の状態は、どれくらいひどかったのでしょうか? 手術が必要なくらいでしょうか?


 肩の腱板は20代のときに限界に近いということで、手術を勧められるような状況で(最初の)引退というのもありました。その古傷が、現役復帰してからの9年半、今の私の年齢で使い続けるということで出てしまいました。最初に痛めたのは(腱板とは)別の場所の上腕二頭筋だったのですが、最終的には古傷の場所になったという状態です。


 痛みは……痛いです。痛かったですよ。でもどうなんだろう? 痛みには強い部分もあるので(笑)。(状態は)夜、寝ていても痛かったり、昼間でもMRI検査をしている30分間だけでもじっとしていられないとか、それぐらい痛みはありました。

 今は注射もしているので少し炎症はおさまっていますが、ドクターと話をして今も診察はしてもらっています。経過としては、じっとしていても痛かった時から比べれば、今はこうして、何もしていない状態で痛みを感じることはありません。試合は思い切ってやっていいというお言葉は(ドクターから)いただいています。ただ当然ですがまだまだ怖さもありますし、(8月上旬からの)1カ月間はリハビリの日々だったので、筋肉が多少落ちてきています。もともと肩は強くない方ですが、それでも、もともと持っているもの(力)に比べると、まだまだ低いレベルではあります。試合はやってみて、どれぐらいの状態に肩がなるかは、試合を終えてみて、またドクターと相談するという状況です。

新時代のテニスに対抗「ライジングショットは大きい」

伊達の代名詞とも言える「ライジングショット」があったからこそ、現代のテニスにも勝負を挑んでいくことができた
伊達の代名詞とも言える「ライジングショット」があったからこそ、現代のテニスにも勝負を挑んでいくことができた【写真:ロイター/アフロ】

――2度の現役生活をとおして、伊達選手のテニスが世界に通用したと思います。もしご自身もそう考えていらっしゃるとしたら、通用した要因はどのように考えていますか?


 今の女子テニスはパワーテニス、スピードテニス。そこにはウィリアムズ姉妹という身体能力の高い選手たちが出てきたことや、ラケットの進化、コートの変化、そういったいろいろなものがかみ合わさって、今のテニスになってきていると思います。そして90年代に比べれば、トレーニング方法というのも医学的にも、科学的にも進歩してきていて、それも選手を強くしています。例えばグランドスラムやツアーレベルでも、必ずテニス会場にジムを併設しなければいけないというルールも、(1度目の現役だった)90年代はなかったと思います。ホテルにあるものを使って、限られた選手がトレーニングをしていることはありましたが、(今のように)みんながみんな練習前に時間を割いてアップをしているという時代ではなかったと思います。


 でも私が再チャレンジを始めて、カムバックをしてからは、テニス会場の中に必ずジムがあってそこに行けば、練習前や試合前にも関わらず選手たちが群がっています。それだけ体に対して時間をかけていることも、パワーテニス、スピードテニスの時代につながっていると思います。その中で私が再チャレンジ後にも、トップ50に行けた要因には、当時から言われている「ライジングショット」が打てたということは大きいと思います。ライジングショットを打つことで、ボール自体にパワーがなくても展開の速いテニスができました。ただそこには、“足”がすごく大きかったのだなというのは、今すごく感じます。ライジングショット、速い展開のテニスをするために、自分の足が動かないとボールが生きないと言うのを今は痛感しています。ですので、なかなか速い展開のテニスというものを(できなくなると)……。かといって私が守るテニスをできるわけではもないですし、そうなると、今のパワーテニス、スピードテニスに対抗できるものが無くなってきてしまっているのかなと感じます。


――9年半前に復帰された時は“新たなる挑戦”としてコートに戻ったと思います。目の前の試合の後は、どんな“新たな挑戦”があるのか教えていただけますか?


 今はとにかく来週の火曜日に試合が決定して、この肩の不安、膝の不安を抱えながら、どう(挑むか)。(現時点では)対戦相手も分からない中で、試合にすべてをフォーカスすることしか考えないこの1カ月だったので、まずはコートに立って、100パーセントにほど遠いプレーになると思いますが、今の自分にできる最大限のプレーをすること、そこに準備をすること。そこにしかエネルギーを使っていないので、今はまだ(将来的に)どうするかということは、正直言って考えていません。


 試合が終わった後も、たぶん心配事は肩になると思います。今は、まず試合のこと、次に肩のこと。それと並行して、少しずつ自分が何をやりたいか、できるのかを考えていくのかなと思っています。だから1回目の引退の後のように、「しばらく何もしたくない」とか、「ラケットも握りたくない」「コートも見たくない」ということにはならないと思います(笑)。


――ご自身の競技人生を振り返って、どのような競技人生だったと思いますか?


 こんなに幸せなアスリートはそういないのではないかと思います。2度も世界のトップレべルで戦うチャンスを得ることができました。1度目はランキングにこだわって、自分が目標にしていたトップ10に入り、最高位が4位、グランドスラムでもセミファイナルを4つのうち3つ経験することができて、本当にトップレベルを経験することができたファーストキャリアでした。そして、2度目の再チャレンジ後は、30代後半から40代前半の年齢でトップ50をクリアできたというのは、自分でも想像ができませんでした。若い選手たちがトップ50を目指してもそれを経験できる人はほんのひと握りで、それをましてや2度目のキャリアで、自分の年齢でできたというのはすごくいい経験でした。何よりもツアーも楽しく、若いプレーヤーとも仲良く一緒にツアーを回りながら、いつも冗談を言い合って、練習もみんな快くしてくれて。さっき会場のジムの話になりましたが、私は会場に着くと必ずやることがあるのですが、コートやジムの確認もそのひとつです。そうすると、「キミコ、ジムはどこにあった?」「ジムにこれあった?」と聞かれて(笑)。公子に聞けば分かるというくらい熟知していました。そうして選手たちが親しくしてくれたのも、この9年半の中ですごく楽しかったことの1つです。


 ツアーは勝つこと、強くいること、トップにいることというのが、最終的なみんなの目標ですが、テニスはシーズンが長いスポーツです。ずっと同じツアー仲間、スタッフとツアーを回っています。そうしたツアーの中で認められていたということも、これだけのことを2度もできる選手はなかなかいないと思うので、私はすごく幸せなアスリートだったのではないかなと思います。

痛みさえなければ「まだやめたくない」

痛みさえなければ、まだテニスを続けたいと話す伊達。ただコートを離れても、テニスが隣にある生活は変わらない
痛みさえなければ、まだテニスを続けたいと話す伊達。ただコートを離れても、テニスが隣にある生活は変わらない【スポーツナビ】

――今、引退という大きな決断をされて、ご自身でテニスプレーヤーの伊達公子に声を掛けるとしたら、どんな言葉を掛けますか?


 うーん、これは……。2つありますね。ずっとここ数年、2〜4年の間、どこかしらに痛みを抱えていて、思うように練習ができなかったり、トレーニングをしたくても追い込めないとか、そういう日々も多くなっていて、どうしても薬に頼らないといけないことも多くなりました。ドクターとしては、できるだけ薬を打ちたくないという思いはあります。でも、「先生、私は(選手としての)先があまり長くないので」という会話をして、(ドクターも)「これが20代だったら打たないけど、(今の年齢だから)じゃあ打つか」という決断になります。そういうことを考えると、もういいかな、もう十分にやったよねと思う自分も。


 回復力が遅れていることや練習についていけないとかは、そういうのは全然仕方がないことなのでいいんです。痛みを我慢することもいいのですが、やはり痛みがあることによって練習量をこなせなくなってきたということがどうしても辛い。そうして心と体のバランスが崩れ始めてしまったということを考えても、「しょうがないから受け止めるしかないかな」と。


 でもその反面、やっぱりまだ……。やめなくてすむなら、まだやめたくない。テニスに対する思いがズレることはないので、痛みさえなかったら。ただその(心と体の)バランスが崩れてしまったら、ツアーで戦う以上はもう難しいのかなと。(今は)それを受け入れられるようになりました。それがやはり難しかったのですが。だから、常に思いが半々ですね。まだまだやれるという思いがないわけではないし、でも現実的に痛みが消えるわけでもない。もう十分にやったという思いと、その半々の気持ちが常にある感じです。


――3度目の復帰の可能性は?


 ははは(笑)! さすがにそれはないですね。やれるものならやりたいです。この大会で「あれ、意外と痛みがなくやれる。引退を撤回します!」と言いたいところですが、さすがに今回はないかなと思います。


――錦織圭選手からのスペシャルメッセージがあります。「伊達さん、お疲れさまでした。今まで僕自身がとても刺激をもらっていましたし、数多くの後輩たちもみんな刺激をもらって切磋琢磨(せっさたくま)できていたと思います。これからの人生も楽しんで、伊達さんらしく生きていってください。これからもよろしくお願いします」。このメッセージを受けて一言お願いします。


 圭もけがで苦しんでいる時期ですが、あの体でトップで戦うことの厳しさ、タフさ。そこにいる時間が長くなればなる程、難しいことはたくさん増えてきていると思います。私とは全然レベルも時代も違いますが、トップでい続けることの難しさというのは同じように感じることはできていました。男子の中で、あの身長、あの体でいることは、けがはつきものになって当然だと思います。今の男子の平均身長はかなり高いですし、フィジカル的には相当無理がきていると思います。トップ50にいることだって、あの体では大変なことだと思います。ましてやトップ10というのは……。細かいことを言うと(トップ選手には)出場義務のある大会数が決められていたりと、自分の体と向き合って、自分の戦いやすいようにというわけにはいきません。それを常にクリアしながら、結果を残していくのは難しいので、これから先、彼にはさらに試練が待ち受けていると思います。とはいえ、まずは体が第一なので、こうなった以上は、体をもう一度しっかりと作り直して、もう一度あの位置に戻れる強さと精神力というものを養っていけるだけのものを、もう1回やってほしいと思います。


――あらためてごあいさつをお願いします。


 長時間にわたりみなさんありがとうございました。本当にまだ試合を控えていますので、引退をする実感はあるような、ないような気持ちです。競技者としてテニスコートを去るのは、本当に寂しいし残念でならないです。でも、一生できるものではないですし、自分の中でひとつの区切りとして。


 ただ、先ほども言ったように、今回の引退は必ずしもテニスと切り離す気持ちではないです。これからは競技者でなくなってもテニスと向き合いながら、どういう形になるかは時間をかけて考えていきたいと思います。テニスに対する思いはずっと持ち続けて、常に自分の隣にテニスがある、これからもそういう人生にしていきたいと思いますので、あまり寂しく思う必要もないと思っています。ただこれから、ツアー仲間やWTAスタッフや新聞の方や、それぞれの国に行けば会えていた人たちの顔ももう見られないのかなと思うとすごく寂しいです。


 とはいえ、本当に2度もこれだけのテニスキャリアとして、時間を費やして、刺激をもらって、達成感を感じる日々を経験できたことは、何にも変えられないことなんじゃないかと思います。本当に本当にテニスと出会えて良かったと思います。

 最後の有明での試合に、どこまで自分らしさを出せるかは分からないですが、強い思いは心の中に持ってコートに立ちたいと思います。(試合日の)火曜日も、最後の快心のショットを何本出せるか分かりませんが、ブログにも書きましたが、みなさんの記憶にとどめていただけるように、多くの方に会場に足を運んでもらって、みなさんと時間を共有できたらと思います。みなさん、ありがとうございました。

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