元女子日本代表監督が大学球界で奮闘中 名門再建を目指すコミュニケーション術

高木遊

現在、東都2部に低迷する名門・駒澤大の再建を託された大倉監督。かつてはマドンナジャパン監督として4度の世界一に導いた 【写真:高木遊】

 侍ジャパン女子代表(通称マドンナジャパン)の監督を長年務め、4度のW杯優勝に導いた大倉孝一氏が駒澤大の監督に就任して半年。東都大学野球リーグ優勝27回(春秋合わせ日本一11回)を数えながら2部リーグに低迷する名門を、選手たちと積極的なコミュニケーションを図って再建しようとしている。

女子野球で学んだアプローチの仕方

 大倉監督が女子野球の指導を始めたのは18年前。彼女たちのひたむきさに応えようとチームの勝利だけではなく、競技の普及・発展、環境整備に心血を注いできた。それでも指導を始めた当初は、38歳までの5年間で身につけたコーチングスキルが通用しない場面は多々あったと振り返る。

「怒ったらそれ以降本人のテンションが上がらなかったりするので、とにかく安心感を植え付けることが必要でした」

 そのために、「何か困っていないか?」「何か苦しくないか?」「今、何を考えている?」と声かけを頻繁にした。そうすることで「監督は分かってくれている」と安心感を持たせ、「こういうふうにした方が良いぞ」「今はこうだからな」とアドバイスをしていく。

「それまでは一方的に指導者側で思ったことを“お前の悪いところはここ”“ここはこうしたほうがいい”と指導していましたが、選手たちが何を考えて、どうしたいのかをちゃんと聞いてからアプローチするようにしました」

大切なのはツールではなく中身

練習後は必ず寮内で入浴してから帰る大倉監督。部員同士の関係性やグラウンドでは見せない素顔を見ることができ、アプローチの幅が広がるという 【写真:高木遊】

 女子の指導と同じようにコミュニケーションを積極的に取るスタイルは、駒澤大の監督になってからも変わらない。女子野球の指導と並行して、自ら代表取締役を務めるトレーニングジムで男子の選手やチームの指導もしていたために、「女子野球の指導で感じたような現象が、男子でも起こっています」と男子選手の気質の変化も敏感に感じ取っている。

「“僕を見てくれていない”とか、“どうせあの選手を使うんでしょ”と拗ねたりとかね。でも、このチームでともに汗を流すなら、“もっと前向きにしてやりたい”“胸を張らしてやりたい”“失敗を怖がらないようにやらせてあげたい”。そうすれば必ず成長につながるという手応えがあるので、どんどんやる気にさせてあげたいんです」

 だからこそ、ミーティングの回数を増やしたり、2軍戦でも「駒澤の人間として胸を張って戦え」と伝える。また、4年生と飲み会をしたり、8月には全部員で“高尾山に登り、日の出を観に行く”というイベントも行った。

「夜道でケガしちゃいかんから、僕は下見も含めて2回も登りましたよ(笑)。全員参加のイベントというのも今、少ないと思うんですよね。だから、そういうイベントはどんどんぶち込むようにしています」

 そして、その中で本質は決して妥協しないという。

「全員と交換日記もしていますが、大切なのはツールじゃなくて中身。表現です。そうしないと選手たちに“本気なのかどうか”なんてすぐに見破られますから」

感動を味わわせることが伝統の継承

米満一聖主将(写真左)は「自分たちに近付いてきてくれる監督です。核心を突いて、課題を明確にしてくれるので分かりやすいです」と話す 【写真:高木遊】

「駒澤、変わったな」と観ている者にとって分かりやすく感じるのが、どの選手もいい意味で感情を表に出している。アップから試合終了まで大きな声を出し、得点が入った時には、全員で拳を上げるのが定着している。1球ずつに勝負を賭けるからこそ表れるものがある。

「賭けていれば“(棒読みのように)ここ、抑えろよー”なんてならない。“踏ん張れよ!”“大丈夫だ!”って自然となる。そういうのを僕は覚えさせたい。これが感動を生むんですよ。僕はそれをこの4年間で味わわせたい。それを持って社会に出ると、ずっとそのときの感覚が残る。それを糧に頑張れたり、それを糧に仲間を大事にできたりする。そうすれば、その場所になくてはならない人間になりますから」

 特にその思いは4年生に強い。1月8日の最初のミーティングでは、彼らの意思とは関係ないところで監督が代わったことに対して、まず謝罪をした。

「やっぱり4年生には、今年1年は2部かもしれないけど、“俺たちやったんだ”っていう思いをすごく持たせてやりたい。限られた1年という時間の中で、できる限りあいつらと時間を共有したいんです」

 そう語る目は父親のようでもあり、後輩たちと喜びを分かち合おうと奮闘する兄貴分のようでもあった。自らが名門・駒澤大の一員として味わってきた感動を伝えていく――。それが監督に就いた責務であり、大倉流の伝統の継承であるように思えた。
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著者プロフィール

1988年、東京都生まれ。幼い頃よりスポーツ観戦に勤しみ、東洋大学社会学部卒業後、スポーツライターとして活動を開始。関東を中心に全国各地の大学野球を精力的に取材。中学、高校、社会人などアマチュア野球全般やラグビーなども取材領域とする。

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