広島の新監督ヤン・ヨンソンとは何者か? 特徴は若手の積極起用と「4−4−2」
森保監督の後任はスウェーデン人監督
森保一監督の後任としてスウェーデン人のヤン・ヨンソンが広島の新監督に就任した 【写真は共同】
ヨンソンは選手時代の大半をスウェーデン南西部にあるハルムスタッドBKで過ごし、1979年にはリーグ優勝を経験するなど、チームの顔として活躍した。出場試合数557は今もなおクラブ史上最多記録である。当時クラブを率いていたのが、スウェーデンに「4−4−2」システムを浸透させた人物として知られるイングランド人監督のロイ・ホジソンだ。この「4−4−2」はヨンソンのキャリアを語るうえで欠かせない、重要なキーワードとなる。
1992年にハルムスタッドを退団した後は、スチュアート・バクスターに誘われる形で広島のコーチに就任。選手としても登録し、広島およびヴィッセル神戸に在籍した。神戸在籍時に出会ったミカエル・ラウドルップとは当時家族ぐるみで付き合いがあり、今でも連絡を取り合っているという。また、現役時代に対戦したなかで最も印象に残っている選手として、ジーコの名前を挙げている。
現役を退いた後は98年から、スウェーデンのユングシーレSKで監督としてのキャリアをスタートさせた。その後、ランズクローナBoISでは就任1年目でクラブを1部昇格に導くなど結果を出し、05年にノルウェーのスターベクIFの監督に就任。08年にはリーグ優勝を達成した。
スターベクを去った後もノルウェーに残り、ローゼンボリBKとオーレスンFKを指揮。その間、スウェーデンおよびノルウェー代表監督の候補にも挙がるなど、徐々に監督としての地位を築いていった。その後、父親の体調悪化などが理由でスウェーデンに戻り、15年に古巣・ハルムスタッドの監督に復帰。17年6月に成績不振を理由に監督のポジションを外されるまで指揮を執っていた。
ベンゲルとは「哲学が似ている」?
ヨンソン監督のサッカーは日本で出会ったベンゲルの影響を大きく受けている 【写真:ロイター/アフロ】
きっかけは、日本滞在1年目の94年にバクスターおよび数人の日本人指導者とともにスタディツアーとしてフランスのASモナコを訪れた時だ。ここでヨンソンは同クラブを率いていたベンゲルと初めて顔を合わせた。翌年、ベンゲルは名古屋グランパスの監督に就任。両者はカップ戦で対戦し、試合後は夕食を共にするなど親交を深めていった。
その後、ヨンソンはロンドンでベンゲルと再会する。神戸を退団してスウェーデンに帰国した直後の98年、指導者ライセンスを取得するために渡英。当時アーセナルに加入したばかりのフレドリック・リュングベリと同じ屋根の下で寝食を共にしながら、クラブの練習や試合に足を運んだ。以後、今日まで毎年1度はロンドンを訪れては、ベンゲルと情報交換をしているという。
ヨンソンはベンゲルについてこう語っている。
「ベンゲルのことをまねないようにしているが、アーセナルの練習を見学すると、(ベンゲルの)サッカーに対する考え方に共感することが多い。優勝するためだけに、その場しのぎのことをするのではなく、長期的な視点でチームを構築するそのやり方が好きだ」
「私とベンゲルは哲学が似ている。つまり、クラブの財政事情を理解して、若手の育成に力を入れ、選手を安く買って高い金額で売却するということだ。それに、サッカーのスタイルも似ているところがある」
興味深いエピソードがある。ランズクローナで指揮を執っていたころ、ロンドンでアーセナルのリザーブチームと練習試合を実施したときのことだ。ヨンソンは当時16歳だったセスク・ファブレガスのプレーに感銘を受け、ランスクローナに期限付き移籍させてほしいとベンゲルに頼み込んだのである(最終的にはベンゲルがこれを断った)。