ホスト国ロシア、失意のカザンの夜 コンフェデ杯はグループL敗退に終わる

中田徹

ロシアが負けた夜、ホステルはシーンと静まり返っていた

ホストカントリーにとって失意のカザンの夜となってしまった 【写真:ロイター/アフロ】

 ロシアのメディアは「CIS(独立国家共同体)としてユーロ(欧州選手権)に参加した1992年、グループリーグの最終戦でスコットランドに0−3で敗れてから、16年のユーロでウェールズに0−3で負けるまで、ずっとロシアはビッグトーナメントのグループリーグの重要な試合で負け続けてきた。例外は08年のユーロで、スウェーデンを2−0で破った試合だけだ」と記していた。

 今回のコンフェデ杯でも、24日に行われたグループリーグ最終戦でメキシコに1−2で敗れてしまい、準決勝進出に失敗してしまった。

 かつてのロシア代表ストライカー、ドミトリー・ブリキン氏とモスクワで会う機会があった。「今のロシア代表はちょうど端境期で、とても若い。コンフェデ杯で失敗しても、引きずらないでほしい。1年後のW杯では、私はサポーターとして、決勝まで残ってほしいと思っているけれど、現実的にはグループリーグ突破を果たしてほしい」とチームを温かい目で見つめることを訴えていた。

 ロシア人は「今は選手の若返りを図っている」と口をそろえるが、メンバー表を見ると本当に若い選手は数えるほど。要は中堅・ベテラン選手の抜てきを「若い」と表現しているのだろう。

 ホステルに戻ったのは夜11時。酒飲みのロシア人にとって、また早い時間だ。私が夜中の1時半に戻ってきても、狭いロビーでロシア人たちにつかまって延々とウォッカを飲みながら話に付き合わされたものだった。

 だが、ロシアが負けた夜、ホステルはシーンと静まり返っていた。部屋の中も電気が消され、皆、ベッドの中でひっそりとしていた。

 部屋着を探そうと荷物をまさぐっていると、誰かが「電気をつけていいよ」と優しく言ってくれた。そして、すぐにまた、部屋が静寂に包まれた。ホストカントリーにとって失意のカザンの夜だった。

2/2ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント