目標をクリアした雄平が目指す「進化」〜燕軍戦記2017〜

菊田康彦

監督にアドバイスを求める姿も

投手から打者に転向して8年目の雄平、主軸の一人としてヤクルト打線を引っ張る 【写真は共同】

 投手から野手に転向するにあたって、雄平は2つの目標を立てた。

 1つは投手としての年数よりも長く野手としてプレーすること。そしてもう1つは投手時代の年俸を超えること。投手時代は最高で2200万円(08年)だった年俸は、ベストナインに輝いた14年オフの契約更改で超え、今や7000万円になった。今年は野手に転向して8年目。こちらも投手として投げた7年を超えた。

「だから、また新たな目標を持ってやりたいんですけど、今は毎日がいっぱいいっぱいなんで考えられないですね」

 バットマンとしてさらに進化するため、今シーズンの雄平は打者転向時からコーチとして指導を受けてきた真中監督に、積極的にアドバイスを求めている。

「今まではちょっと遠慮してたんですよ。監督なんで、あんまり聞いちゃいけないかなって。でもずっと見てもらってますし、何でも分かってもらえていると思うんで。ホントは『独り立ち』できればいいんですけど、なかなかできないんで甘えさせてもらってます」

ひざに故障を抱えながら全力プレー

 交流戦直前の名古屋遠征では13年に手術を受けた右ひざが悲鳴を上げ、その後は痛みとも戦い続けた。持ち味である全力プレーができず「このまま試合に出ていていいのかな……チームに迷惑をかけてるんじゃないかって。迷惑だけはかけたくないんですよ」と表情を曇らせたこともある。

 それでも雄平は必死にプレーした。打つだけではない。ヒーローになった冒頭の楽天戦では、5回に三塁走者として大引啓次のスクイズで絶妙のスタートを切り、同点のホームイン。三塁ベースコーチを務める福地寿樹外野守備走塁コーチも「彼には『(ひざが)痛いなりに動ける範囲でやってくれ』と言ってるんですが、(スタートが)遅すぎず早すぎず抜群でしたね」と、その走塁を称えた。

 出だしから10連敗を喫するなど、交流戦を12球団ワーストの勝率(2割9分4厘)で終えたヤクルトだが、最後は2カード連続の勝ち越し。最終戦となった18日の北海道日本ハム戦(神宮)は最終回の追い上げ及ばず敗れたものの、雄平も9回の第4打席では無死一、二塁からショートへの内野安打でつなぎ、自身の連続試合安打を10に伸ばしている。

「あれは振り遅れただけで内容は悪いんですけど、とにかくつながないとダメな場面だったので、結果としてヒットになってくれてよかったです。やっぱり結果は出さないといけないですから」

 一時はいつ登録抹消になっても不思議ではないとみられていたひざの状態は、「だいぶ良いですね。だいぶ走れるようになりました」と言う。交流戦では両リーグ8位の打率3割4分3厘をマークしたが、23日から再開するリーグ戦でも理想のバッティングを目指しつつ、結果を求めていくのは変わらない。バットマンとしてさらなる高みを目指すため、雄平はこれからももがき続ける。

(文中の成績は交流戦終了時点。金額はすべて推定)

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著者プロフィール

静岡県出身。地方公務員、英会話講師などを経てライターに。メジャーリーグに精通し、2004〜08年はスカパー!MLB中継、16〜17年はスポナビライブMLBに出演。30年を超えるスワローズ・ウォッチャーでもある。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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