マニー・ラミレスが高知にもたらしたもの 観客増に知名度アップ、少しのジレンマも

阿佐智

選手にも地域にも「マニー効果」

前期最終戦、マニーを見に多くの人が球場に集まった 【阿佐智】

 とは言え、メジャーのトップを張ったマニーの存在は、選手に大きな財産を残したことも間違いない。選手はフィールドでマニーから技術や精神面で多くのことを吸収したと口をそろえる。彼は「外野」の危惧をよそに、野球に対して真摯な姿をナインに見せ続け、若い選手にとって生きた教材であり続けた。アイランドリーグの選手にとって、マニーと過ごした時間は貴重なものとなったはずである。

 ファイティングドッグスの名を世間に知らしめたことも「マニー効果」のひとつだ。実際、この夜の最終戦には、高知だけでなく、全国各地から少なからぬ野球ファンが駆けつけていた。全国ネットの情報番組でも取り上げられた彼のおかげで、多くの人が独立リーグの存在を知ったはずだ。これは国内だけの話にとどまらない。

 この日の取材には、米国からもメディアが来ており、そのスタッフに声を掛けると、彼はそれまでは日本に独立リーグがあったことすら知らず、もちろん高知に来るのも初めてだったと言う。球団だけでなく、フランチャイズの高知の存在までもが海を越えて知られることは、「スポーツツーリズム」を標榜する地域密着球団としては願ったりかなったりというところだろう。

ボールパークと化した球場

 この試合、マニーは地元での初ホームランを含む3安打で自分の最後の雄姿を見に来た1802人のファンの期待に応えた。一部メディアは、後期シーズンまでの契約延長の可能性を盛んに報じているが、本人自身が、この日の活躍を「有終の美」と表現していることから、私はマニーはこの夜をもって今度こそ引退するのではないかと思っている。日本のプロ野球(NPB)へ行きたいと最後まで言っていたが、その顔にはやり切った満足感があふれていた。

 それでも、私はメジャーのレジェンドに「ありがとう」と言いたい。彼が最後の舞台に立ったその夜、高知市営球場は確かにボールパークと化していた。満員の内野スタンドで野球を見ながらビールやバーべキューを楽しむ人々に、外野芝生席で遊びまわる子どもたち。それまで閑古鳥の鳴いていた球場は、プロ野球のそれらしい賑わいを見せていた。マニー・ラミレスが高知にもたらしたものは、その卓越した打撃技術だけではない。週末の夜を野球場に集って皆で楽しむという観戦文化もまた、彼は伝えてくれたのだ。

 マニーは「これからも高知にできることはしていきたい」という言葉を残していった。それがどのような形のものになるのかはまだわからないが、その雄姿は高知の人びとの心から消えることはないだろう。

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著者プロフィール

世界180カ国を巡ったライター。野球も世界15カ国で取材。その豊富な経験を生かして『ベースボールマガジン』、『週刊ベースボール』(以上ベースボールマガジン社)、『読む野球』(主婦の友社)などに寄稿している。

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