マニー・ラミレスが高知にもたらしたもの 観客増に知名度アップ、少しのジレンマも
選手にも地域にも「マニー効果」
前期最終戦、マニーを見に多くの人が球場に集まった 【阿佐智】
ファイティングドッグスの名を世間に知らしめたことも「マニー効果」のひとつだ。実際、この夜の最終戦には、高知だけでなく、全国各地から少なからぬ野球ファンが駆けつけていた。全国ネットの情報番組でも取り上げられた彼のおかげで、多くの人が独立リーグの存在を知ったはずだ。これは国内だけの話にとどまらない。
この日の取材には、米国からもメディアが来ており、そのスタッフに声を掛けると、彼はそれまでは日本に独立リーグがあったことすら知らず、もちろん高知に来るのも初めてだったと言う。球団だけでなく、フランチャイズの高知の存在までもが海を越えて知られることは、「スポーツツーリズム」を標榜する地域密着球団としては願ったりかなったりというところだろう。
ボールパークと化した球場
それでも、私はメジャーのレジェンドに「ありがとう」と言いたい。彼が最後の舞台に立ったその夜、高知市営球場は確かにボールパークと化していた。満員の内野スタンドで野球を見ながらビールやバーべキューを楽しむ人々に、外野芝生席で遊びまわる子どもたち。それまで閑古鳥の鳴いていた球場は、プロ野球のそれらしい賑わいを見せていた。マニー・ラミレスが高知にもたらしたものは、その卓越した打撃技術だけではない。週末の夜を野球場に集って皆で楽しむという観戦文化もまた、彼は伝えてくれたのだ。
マニーは「これからも高知にできることはしていきたい」という言葉を残していった。それがどのような形のものになるのかはまだわからないが、その雄姿は高知の人びとの心から消えることはないだろう。