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浅田真央「スケートは私の人生」
引退会見、一問一答
会見に臨んだ浅田真央。引退に至る経緯やこれまでの競技生活について語った
会見に臨んだ浅田真央。引退に至る経緯やこれまでの競技生活について語った【赤坂直人/スポーツナビ】

 現役引退を表明したフィギュアスケートの浅田真央(中京大)が12日、都内で会見を行い、決断に至った経緯やこれまでの競技生活について語った。


 報道陣430名が詰め掛ける中、登壇した浅田は「決断をするにあたって悩みました。やり残したことは何だろうと考えたときに、ないと思ったので、すべてやり尽くした」と晴れやかな表情を見せた。引退を決めるきっかけとなったのは、昨年末の全日本選手権。12位に終わり「もういいんじゃないかなと思った」という。


 会見では終始笑顔だった浅田だが、最後のあいさつでは声に詰まる場面もあった。それでも「スケート人生で経験したことを忘れずに、これから新たな目標を見つけて、笑顔で前に進んでいきたいと思っています」と力強く宣言した。


 以下は、浅田のあいさつと質疑応答。

全日本で12位「もういいかなと」

 本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。私、浅田真央は選手生活を終える決断をいたしました。長い選手生活でしたが、たくさんの山がありました。でも、その山を乗り越えてこられたのも、たくさんのファンの方の応援があったからだと思います。今日は感謝の気持ちをお伝えできればと思い、このような場を設けさせていただきました。


――まずはお疲れさまでした。2日前、ブログで引退を表明されて今、あらためてどんな心境?


 まずこの場に入ってきたときに、これだけのたくさんの方が集まってくださって、本当にびっくりしましたが、少し落ち着いてきました。


――いろんな人から引退についてのコメントをもらったかと思うのですが、印象に残ったコメントは?


 たくさんの方が連絡をくれました。皆さんが「お疲れさま」という声を掛けてくれて、私自身も「選手生活を終えるんだな」という気持ちになりました。


――親しい人への報告はどのような感じで?


 少し前に家族や友達に報告しました。みんな「お疲れさま、よく頑張ったね」と言ってくれました。


――引退を決めたきっかけ、その時期は?


(2014年春から1年間の休養。翌年復帰して)復帰してから、いい形でスタートできました。でも、そこから試合に出るにつれて「今のスケート界についていけるのかな」という思いが強くなったり、体の部分で復帰前よりも少し辛い部分が多くなりました。なんとか1シーズンは乗り切れたんですが、2シーズン目からは「なんとか、なんとか頑張ろう」という気持ちでやってきました。でも最後の全日本選手権を終えて(16年12月の大会で12位)、もういいんじゃないかなと思いました。


――その全日本選手権からこれまでの3カ月、どんな思いだった?


 復帰してからずっと「平昌五輪に出る」という目標を掲げてきました。目標をやり遂げないといけない、(自分の気持ちと)自分が言ってしまったこととの葛藤がずっとありました。


――全日本選手権がきっかけとなり、引退を決めたのは具体的にはいつごろ?


 全日本選手権が終わって結果が出たときに「ああ、終わったんだな」と思いました。でも、日がたつにつれて、自分が言ってしまったことは今まで最後までやり通してきたので、「やらなきゃいけないんじゃないか」という思いの方が強くて、ここまで(引退発表が)延びてしまいました。


――平昌五輪への思いもあった。それを上回るくらいの達成感だった?


 そうですね。ソチ五輪が終わってから最高の形で終えることができたのですが、自分の体もまだまだできましたし、気持ちとしてもまだまだやれるという思いがあったので、復帰しました。体も気力も全部出し切ったので、今は(復帰して競技に)挑戦して、何も悔いはないです。


――最後の大会となった全日本選手権でトリプルアクセルに挑戦。全日本選手権で挑んだ気持ちは?


 最後になるのかなという気持ちは、ソチ五輪後の世界選手権ほどではなかったです。でもトリプルアクセルを挑戦して終えられたことは、自分らしかったかなと思います。

一番印象に残っている演技は「ソチのフリー」

柔らかな表情で質問に答える浅田
柔らかな表情で質問に答える浅田【赤坂直人/スポーツナビ】

――現役生活を振り返って。初めてスケート靴を履いたときのことを覚えている?


 5歳だったので、覚えてはいないんです。でもヘルメットをかぶって、スキーウエアを着て、肘あて、膝あてをしていたのは、写真に残っています。


――スケートをやってきて一番楽しかったのは?


 フィギュアスケートにはいくつも技がありますが、小さいころにその技をいくつもできるようになったときは、本当に楽しい気持ちになりました。「次は2回転を跳びたい、3回転を跳びたい」と思って。そういう思いがすごく楽しかったです。


――プレッシャーや辛かったことは?


 辛かったことはそんなにありません。この道を選んできたのは自分ですし、自分がやりたいと思って、望んでやってきた道なので、辛いと思ったことはありません。


――2回の五輪を振り返って。銀メダルを獲得したバンクーバー五輪の思い出は?


 バンクーバーは19歳だったのですが、すごく10代で若くて、気が強くて、その気持ちだけで乗り越えてきたという感じがします。


――そして4年後のソチ五輪では、素晴らしいフリーで国民に感動を与えた。ソチ五輪については、どんな思いがある?


 ソチ五輪はショートが残念な結果(16位)だったので、すごく辛い試合ではありました。でもフリーを最高の演技で終えることができた。ああいう気持ちの状態でしたが、バンクーバーからソチまで4年間の思いを、すべて(フリーの)4分間に注ぎ込めたと思っています。


――2度の五輪の経験はどんな経験だった?


 私の今後の人生においても、すごくいい経験、いい思い出だったのかなと思います。


――3回の世界選手権優勝は日本人最多。印象に残っていることは?


(金メダルのうち)2回の優勝は五輪後の世界選手権だったので、五輪の悔しさを晴らせた大会だったのかなとは思います。ソチ五輪後の世界選手権は、これで最後と思って臨んだ試合でした。今までのスケート人生のすべてをプログラムにぶつけた試合だったので、思い入れは一番強い試合でした。


――現役生活を振り返って、最も印象に残っている演技は?


 難しいですね。1つというのは難しくて、でもやっぱりソチのフリーかなと思います。


――あの時間に込めた思いは強かった?


 今までの試合以上に、落ち込んでいたり辛かったところもありました。それでもあれだけの挽回の演技ができたことに関して、そしてそれが五輪だったというのが一番良かったのかなと思います。

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