シャペコエンセが挑む「ゼロからの再建」 優遇措置を拒否し、クラブの矜持を示す
コパ・リベルタドーレスの初戦に勝利
スリアFCとの試合に勝利後、選手たちは夜空を指差し、天国にいる仲間たちに勝利を報告した 【写真:ロイター/アフロ】
クラブの4部から1部までの過程をすべて体験しており、今季からは強化部のスタッフとして働いている元GKニバウドいわく、わずか8年前にブラジル全国リーグ4部で悪戦苦闘していた地方の小クラブにとって、コパ・リベルタドーレスは「夢のまた夢の、そのまた夢の舞台」である。
「事故で亡くなった選手たちも、このピッチに立つことを夢見ていたはずだ。彼らのためにも、この試合は絶対に負けられない」(キャプテンのGKアルトゥール・モラエス)とシャペコエンセは激しくもフェアな守りで中盤を制圧し、相手ゴールに襲い掛かる。
前半33分、右のゴールライン沿いで得たFKを左サイドバックのレイナウドが直接決めて先制すると、後半24分にも右からのクロスにMFルイス・アントニオが右足を振り抜いて追加点を奪う。後半33分に失点し、なおもスリアFCの猛攻にさらされたが、選手全員が体を張って跳ね返し続けた。
試合終了の笛が鳴ると、数名の選手が精根尽き果てた様子でピッチに倒れ込んだ。他の選手たちは、飛び跳ねながら抱き合い、夜空を指差す――。天国からこの試合を見守ってくれていたに違いない悲劇のヒーローたちに、この歴史的な勝利を報告したのである。彼らは涙を流しながら、会心の笑みを浮かべていた。
悪夢のような事故に見舞われた“奇跡のクラブ”
クラブ史上最高の栄誉をつかもうとしていた矢先、“奇跡のクラブ”は悪夢のような飛行機事故に見舞われた 【Getty Images】
1973年にブラジル南西部の小都市シャペコの複数のアマチュア・クラブが合併して誕生したシャペコエンセ。最初は州レベルの大会に参加するだけで、全国規模の大会に挑む実力も財力も気概もなかった。しかし08年、地元の実業家サンドロ・パラオーロが「いつか南米王者になる」という無謀とも思える目標を掲げて会長に就任すると、クラブの財政を立て直し、下部組織を強化した。
その後、シャペコエンセは09年に4部リーグに参戦し、翌年にはすぐに3部へ昇格。続く12年には3部で3位に食い込み2部へ昇格すると、13年は2部で準優勝を果たし、念願の1部昇格を達成した。さらに昨年は、コパ・スダメリカーナ(欧州ではヨーロッパリーグに相当する南米のカップ戦)で並み居る強豪を撃破して決勝に進出するなど、短期間に驚異的な躍進を遂げたのである。
ところが、クラブ史上最高の栄誉をつかもうとしていたまさにそのとき、悪夢のような出来事に見舞われる。
16年11月28日、コパ・スダメリカーナ決勝第1戦でコロンビアの強豪アトレティコ・ナシオナルと対戦するため、試合地メデジンへ向かっていたチャーター機が山岳地帯に墜落した。この事故で乗員乗客77人のうち71人が死亡。遠征メンバーだった選手22人中19人、そしてコーチングスタッフ14人、クラブ関係者11人すべてが犠牲となった。クラブとチームが瞬時に消滅したのである。
アトレティコ・ナシオナルの選手たちからの要望を受け、南米サッカー連盟はシャペコエンセをコパ・スダメリカーナ王者に認定した。この結果、シャペコエンセの出場が予定される大会は7つ。最少でも70試合以上、最多なら90試合以上をこなさなければならない。すべてを失ったクラブの前に、かつて経験したことのない超過密日程が立ちはだかることとなった。