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サッカーの王様ペレと日本の特別な関係
人生の岐路で関わった多くのジャポネース

最初と最後に愛したのは日本人

75歳のペレ(左)が25歳年下の日系人実業家アオキ(右)さんと結婚。ペレはこれまでも多くの日本人と関わりをもってきた
75歳のペレ(左)が25歳年下の日系人実業家アオキ(右)さんと結婚。ペレはこれまでも多くの日本人と関わりをもってきた【写真:ロイター/アフロ】

 75歳と8カ月半のキング・ペレが、7月9日、サントス郊外で25歳年下の日系人実業家マルシア・アオキさんと結婚した。マルシアさんとは、1980年代にニューヨークで初めて出会い、その後、2008年にサンパウロの高級マンション(実は二人ともそこに住んでいた)のエレベーターの中で再会。10年に交際を始め、12年以降、各種イベントに出席する際は常にマルシアさんを伴っていた。


 66年に最初の結婚をして1男2女をもうけたが、78年に離婚。94年にゴスペル歌手と再婚して双生児を授かったが08年に別れており、これが3度目の結婚だ。


 ペレは“恋多き男”として知られ、ブラジルの国民的人気タレント、シュッシャとの関係が噂されたこともある。過去、結婚したり交際した相手のほとんどが金髪美人。マルシアさんは、大柄でゴージャスだが血は100%日本人で、これまでの女性とは外見が異なる。このことについて、ペレ本人は、「私の人生で、最初と最後に愛した女性はいずれもジャポネーザ(日本人)なんだ」と語っている。

お隣さんサカイ家との親密なつきあい

 少年時代、ペレはサンパウロ州内陸部の小都市バウルーに住んでいた。この町には日本人移住者が多く、すぐ隣りが福岡生まれの祖父母を持つサカイ家だった。一家にはペレと同い年の男の子ニーロがおり、すぐに仲良くなった。二人は、小学校から帰ると夜まで、家の前の道路で近所の子供たちとボールを蹴った。


「ペレは、体がすごく小さくて痩せていたけれど、あの頃からもう天才だった。集まった子供を二つに分けて対戦するんだけれど、彼がいる方が必ず勝つから、前半は彼にGKをさせる特別ルールがあった。でも、大差で負けていても、後半にペレが出てくるとボコボコ点を取ってあっさり逆転する。手がつけられなかった」


 現在75歳のニーロは、当時を懐かしむ。


 ニーロには、ネウザという2歳上の姉がいた。美人で気立てが良く、町内の男の子たちのアイドル。ペレもネウザに夢中になり、ニーロに会うという口実を作ってサカイ家に上がりこんでは、あの大きな眼でじっと見つめていた。


 そんなペレの気持ちは、ネウザにも伝わったようだ。


「彼の家は決して裕福ではなかったけれど、皆、とてもきちんとした人たちでした。私たちとは家族ぐるみのつきあいで、私の両親もペレのことが大好きでした。彼が13歳で地元のバウルーACのU−17に入ると、よく試合の応援に行きました。でも、まだ子供だったし、二人だけでデートしたことはないんです」

少年時代の宿敵は日系チーム

 バウルーに住む日本人移住者の長澤信二は、うどんやそばを製造する工場を経営するかたわら、バウルーACの宿敵ノロエステの経理担当役員を務めていた。息子の潤治、前述のニーロら日系少年だけのチーム「ニセイ」を立ち上げ、ペレの父で元プロ選手のドンジーニョに指導を頼んだ。


「ドンジーニョのおかげで、私たちはどんどん上達した。ペレは父親からサッカーの手ほどきを受けており、私たちはキングと同じ指導を受けたんだ。うまくなるはずだよ」


 やはり75歳の潤治は、今でも得意そうだ。


 54年にバウルーACのプロサッカー部門が経営難で閉鎖されると、長澤は旧知のドンジーニョを通じてペレをノロエステへ勧誘し、口頭で了承を得ていた。しかし、その後、ペレは名門サントスFCから誘われ、55年、下部組織に加入する。ほどなくレギュラーとなり、16歳でブラジル代表に招集され、17歳で58年ワールドカップ(W杯)スウェーデン大会に出場。貴重な得点を挙げてブラジルの初優勝に貢献し、一躍、世界的なスターとなった。


 W杯後、ペレはバウルーへ凱旋(がいせん)。サカイ家を訪れ、「僕のアモーレ(愛情)の証として、これを受け取ってほしい」と裏に記した写真をネウザに手渡している。


 しかし、若い二人の遠距離恋愛は、永くは続かなかった。ペレはサントスで別の女性と交際するようになり、25歳のとき最初の結婚をする。翌年、ネウザもバウルー在住の日系人と結ばれた。

沢田啓明

1955年山口県生まれ。上智大学外国語学部仏語学科卒。3年間の会社勤めの後、サハラ砂漠の天然ガス・パイプライン敷設現場で仏語通訳に従事。その資金で1986年W杯メキシコ大会を現地観戦し、人生観が変わる。「日々、フットボールを呼吸し、咀嚼したい」と考え、同年末、ブラジル・サンパウロへ。フットボール・ジャーナリストとして日本の専門誌、新聞などへ寄稿。著書に「マラカナンの悲劇」(新潮社)、「情熱のブラジルサッカー」(平凡社新書)などがある。

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