【ボクシング】下馬評覆し世界王者となった小國以載 冷静に見極めてつかんだ“2”の勝算

船橋真二郎

自分が強くないのを分かっている

コツコツ積み重ねたボディへの攻撃が効いていると分かり、最後は自分へ流れを呼び込んだ 【写真は共同】

――終盤はもう流れもポイントもつかんだなという感触があった?

 8ラウンドでだいぶ確信は得ましたね。ボディが入った瞬間、あいつ、こうやってやったんですよ(両手を広げて効いてないとアピール)。これは相当効いてるんやろなと思って。そこからガクッと落ちたし、そうなったら、なかなか回復せえへんから。それもカウンター狙いに切り替えた要因だったと思います。もうボディは触られたくないと。

――小國選手がグスマンをそういう状態に追い込んだということですよね。

 そうかもしれないですね。でも、阿部さんには9ラウンドの前は『ドローだから、全部取りに行け』と言われたし、11ラウンドの前には『負けてるから行け』と。それで11ラウンドはダウンにはならなかったけど、またボディで倒せた。どう見ても腹やったけど。

――レフェリーはローブローの裁定。コーナーで待っていたときの心境は?

 ここでストップになったら、ここまでの採点なんかな、減点1を取られるんかな、俺の反則負けなんかなとか、ずっと考えてました。だから、3ラウンドのときは立つなと思ったけど、11ラウンドは『頼むからマジで立ってくれ』と。反則負けになったら、シャレにならんし、これからの俺の人生、一生ひねくれるなと思ってました。

――そこでも冷静だったんですね、ある意味(笑)。でも、話を聞いて、勝つ可能性の“2”は、自分にできること、持っているものは“2”かもしれないけど、その“2”を冷静にやり続けることで相手の“8”を全部出させないようにできるという考え方でもあったのかなと感じました。

 結局、そういうことです。僕は“2”をやり続けただけなんですけど、向こうからしたら予想外で、その“2”が“3”にも“4”にも感じられてきて、自分のほうが“7”にも“6”にもなっていくんですよ。ただ、もう1回やったら絶対負けます。それは付け入る隙がいろいろとあって、あの日、あの時間のグスマンよりも自分が強かっただけということは分かってますから。次はもう予想外もないし、ほんまは9−1なんやからね。

――クールというか、冷めた目で自分を。

 客観視しますね。ずっとそうです。自分を知ることがいちばん大事やと思いますね。自分の弱いところ、得意なところを知っていれば、戦い方がある程度は見えてくるじゃないですか。僕は井岡(一翔=井岡ジム)君とか、井上(尚弥=大橋ジム)君みたいに2階級とか、3階級制覇できる人間じゃないと分かってるし、強くないのも分かってます。アマチュアでもタイトルは獲ってないし(神戸第一高時代はインターハイ3位、芦屋大時代は全日本選手権3位)、世界が決まった時点で御の字なんですよ。世界を獲って、お釣りがくるくらい。

速球なくとも変化球と工夫で勝負できる

ベルト奪取の報告の際は、早くも「テング」になっているパフォーマンスも見せたが、実はしっかり自分の実力を客観視もしている 【船橋真二郎】

――名前が出ましたが、同学年に高校6冠を達成するような井岡一翔選手という別格の存在がいたから、そういう見方ができるというのもありますか?

 ああ、それはあるかもしれないですね。井岡君は僕らの中ではスーパースターでしたから。圧倒的でしたね。正直、あそこは超せないですもん。最初に見たときから、こういう奴が世界チャンピオンになるんやろうなと思ったし、なるべくしてなった感じですね。僕みたいな凡人はどこまで通用するか知りたくて、プロになった程度で。でも、プロは世界一になれる可能性があるなとは思ってました。それは12ラウンドあるから。だから、頑張ろうと思えた。

――短いラウンドのアマチュアでは。

 キツイですね。能力が高くないですから。アマチュアの途中で気づいたんですよ。短距離走と一緒やなって。日本人はマラソンでは金メダルを獲ってるけど、短距離ではいないじゃないですか。ただ、リレーだったら、バトンのテクニックとかも関係してきて、あの(リオ五輪)銀メダルがあったかもしれないですけど。僕はそこに可能性を見いだしたというか。だから、なってるし、自分よりも能力の高いグスマンに勝った理由もそこやし。

――小國選手のボクシング自体が長いラウンドで生きてくる。

 そういう戦い方じゃないですか。能力の高い戦い方はできない。でも、世界チャンピオンになれることを証明できたというか、そこまで能力が高くない選手にも、俺でも頑張ればできるんじゃないかと思ってもらえたかな、と思います。井上君とは一昨年、スパーリングをしたんですけど、マジで強い。身体能力もハンパないですよ。2階級下やのに世界はこんなに強いのかと、ほんまに諦めようかと思いました。野球で言ったら、200キロ投げるくらい。絶対に無理じゃないですか。でも、僕は110キロしか投げられんけど、変化球をいっぱい覚えて、わざと30キロを放ったり、工夫して、工夫して。作戦でひっくり返せることもあると見せられたんじゃないかな、と。

次期挑戦者の岩佐は「苦手で嫌いなタイプ」

試合で負った左手親指のケガは完治していないが、次戦は岩佐亮佑との試合が決まっている 【スポーツナビ】

――初防衛戦の時期は未定で手のケガが治ってからということですが、対戦相手は岩佐亮佑選手(セレス)になりますね(岩佐は昨年11月、アメリカでIBF挑戦者決定戦を戦う予定だったが、相手の計量失格で中止になり、挑戦権を得ている)。

 左手は親指の腱が切れてて、殴れるようになるまで4カ月かかると言われてるんで。あとはIBFがどう判断するか。まあ、岩佐君にはアマチュアのときもやられてるし、僕がいちばん苦手で嫌いなタイプなんでね。嫌いです。大嫌いです。

――(笑)。3年生になるときの高校選抜(06年3月)ですか?

 2年生の終わりです。あいつが1年生のとき。だから、苦手意識も強いし、俺は(IBF世界王者のベルトを)獲ったあとの岩佐のほうが嫌やって、後輩とかにも言ってたんで。眼はいいし、足もあるし、パンチにもキレがあって、打ち合いもできるし、打たれ弱くないし、スタミナはあるし、ややこしいですね。(能力値を示す)六角形が全体的にデカいから。

――要は隙をつくらないタイプ。限りなく円に近くて、へこんでるところがないと。

 そう。穴が少ないんですよね。僕もなるべく、そうしてますけど、あいつのほうがデカい円ですね。穴が少ないほど、難しいですよ。でも、チャンピオンとして言ってはいけないんですけど、ドローでもベルトを守れるんでね。僕は最悪6ラウンド取ればいい。まあ、それくらい岩佐君が優位やと思ってるということです。

――小さな円が大きな円をどう崩していくのか。やるとなったら、いろいろ考えるのではないですか?

 自分の中でちょっとした考えはあるんですけどね。でも、厳しいかな、その突破口でも、と思うくらいキツイですね。ほんまに。やっぱり、ラッキーじゃないと無理ちゃうかな。

小國以載(おぐに・ゆきのり) 【スポーツナビ】

■小國以載(おぐに・ゆきのり)プロフィール
1988年5月19日生まれ、兵庫県赤穂市出身。19勝7KO1敗1分の右ボクサー。
大学を中退し、09年11月にプロデビュー。7戦目で東洋太平洋王者となったが、4度目の防衛に失敗。上京し、角海老宝石ジムに移籍。14年12月に日本王者となり、2度防衛後に返上。16年12月、IBF世界スーパーバンタム級王者に。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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