チームに溶け込む酒井宏樹、鍵は適応力 名門・マルセイユでの挑戦<後編>

木村かや子

ネガティブな気持ちで家には帰らない

2011年にベストヤングプレーヤー賞を獲得した酒井。本人は「驕っている部分はあったと思う」と振り返る 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

――酒井選手は「驕(おご)らないこと」とよく口にします。謙虚なイメージがありますが、自分が驕っていると感じたことがあるのですか?

(柏)レイソルの時は、Jリーグで新人賞をいただき、テレビなどのメディアでも取り上げてもらっていましたし、たぶん驕っている部分はあったと思います。でも欧州に来て1年目、まったく歯が立たなくて、自分は欧州では底辺だ、ということを自覚させられました。「俺、いけてるかも」と思っていた自分が恥ずかしい、くらいに思い、これで満足していたらダメなんだと気づいて、一気に変わりましたね。また下からやっていこう、と気を入れ直したんです。

――そのあとハノーファーで活躍できるようになり、気持ちの切り替えがパフォーマンスにつながった?

 そうですね。でも、ポジション的な関係もあると思うんですよ。やはりFWや中盤の攻撃的選手は、多少の驕りがないと……。自分に大きな自信を持っていた方がいい部分もあると思うんです。逆にディフェンスの場合は、自分を過大評価してポジショニングを怠ったり、こいつだったら抜かれないだろうと思ってしまうと、抜かれたときに悲惨になる――ということで、常にマイナスから入っていくんですよね。抜かれたら困るので、抜かれないためにどうしよう、というような。そこは攻撃と守備の選手で、準備の仕方がまた違うと思いますね。

――天真爛漫(らんまん)というか、前向き思考のイメージがありますが、実際はどうですか?

 俺は結構、ネガティブですよ。こういうことがあったらどうしようとか、こういう状況になったらどうしようとか考えます。でも、やはりネガティブな思考は移りますから、僕は絶対にネガティブな気持ちで家には帰らないですし、練習場にも来たくない。それは他の選手に移りますし、「あいつ、まだ全然なじんでいないな」などと見られることにもつながりますので、そういうことは絶対にしないようにしています。

サッカー小僧の夢、マルセイユへの思い

「マルセイユでプレーできることを本当に誇りに思う」と語る酒井。「今は、1カ月でも長くプレーしたい」 【Getty Images】

――酒井選手は会見などで「マルセイユでプレーしてみたかった。できるだけ長くここでやりたい」などと言っており、それがリップサービスではないと感じられました。

 本当ですよ。全然伝わっていないみたいですけれど。フランスのメディアに言っておいてくださいよ(笑)。

――そのクラブ愛は、どうやって生まれたのですか?

 日本という小さな国の中で、知られている外国クラブは少ないと思うんですが、マルセイユはそのうちの1つだったんです。もちろん一般の方たちからしたら、そんなに知名度はないのかもしれないけれど、サッカー小僧、サッカー少年の間では知られたクラブで、僕自身がそうでした。

 それに、レイソルのジュニアの時に、ここに来たこともあるんです。マルセイユ遠征でこっちに来て試合をしたのですが、多分この練習場にも来たんじゃないかと。そういうクラブから話をもらえたというのは、ご縁があることだと思いますし、欧州にいるうちに、歴史のあるチームで一度プレーできたらいいな、と思っていました。僕は小さいときから欧州のサッカーを見ていて、こっちでやりたいと思っていた選手ですから、こういうクラブでプレーできることを本当に誇りに思います。

――憧れていても、来てみて嫌になる人もいると思うのですが、その思いが変わらないというのは環境がしっくり来たということでしょうか?

 そうですね。ここのスケールの大きさに僕はびっくりしていますし、こういうところで一度でもプレーできたら、サッカー選手として幸せだろうなと思える環境だと思います。もちろん日本代表の先輩方は、ACミランとかインテルとか、マンU(マンチェスター・ユナイテッド)とか、より大きなクラブでやっていますけれど、僕にとってマルセイユは十分ビッグクラブであり、理想的な生活ができています。

 今は、1カ月でも長くプレーしたいと、僕だけでなく家族も言っています。あとは自分のプレー次第だと思いますので、そこをしっかり考えながら。だから1試合1試合、気持ちが引き締まるのかもしれないですね。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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