酒井宏樹、愛と意欲でつかんだ定位置 なだらかな上昇線を描き、新天地に順応

木村かや子

マルセイユに移籍して約半年、酒井宏樹は評価を高めつつある 【写真:ロイター/アフロ】

 この夏、フランス一難しいクラブと言われるマルセイユに、酒井宏樹がやって来た。彼は波乱の6カ月を経て、今、着実に、地元メディアの評価とファンたちの心を勝ち取りつつある。飛び込んだ状況も、クラブと本人のスタートぶりも、決して簡単なものではなかったが、酒井は「このクラブでプレーしたい」という純粋な意欲で運気さえも呼び込み、なだらかな上昇線を描きながら、新天地に順応していった。

ギャンガン戦で受けたフランスサッカーの洗礼

 序盤戦で酒井から受けた第一印象は、学習能力の高い人というものだ。また、自分を過大評価することも、過小評価することもなく、ありのままの現実を見定め、認識する能力を持っているようにも見える。そしてこの2つの資質は、無関係なものではない。

 けがをした数試合を除き、マルセイユの右サイドバック(SB)として、ほぼ常に先発フル出場。序盤にはかなり酷評された試合もあったものの、酒井は試合ごとにフランスサッカーに順応していった。チームの調子上昇に同調しつつ、尻上がりに評価を上げたのだが、その過程は、決して容易なものだったわけではない。その歩みを見ていく上でキーマッチがいくつかある。その最初のものは、8月21日に行われた第2節のギャンガン戦だろう。
 
 フランスの中小クラブは、ホームにマルセイユ、パリ・サンジェルマン(PSG)などの名門を迎えた際に、いいところを見せようと大いに張り切るのが常であり、ギャンガン戦の序盤は、まさにそのような試合だった。酒井はこの試合の出だしに、ウインガーのマーカス・ココのサイド突破を止めることができず、許したクロスにヤニス・サリブが飛び込んで、開始1分に得点を許すことに。マルセイユの守備陣全体の力不足が糾弾されたこの試合で、悪い意味で目を引くことになる。開幕戦ではそつないプレーを見せていた酒井だが、この失点の責任を問われ、『レキップ』紙の採点で、「2」という最悪に近い評価をもらうことになった。

「フランス人選手相手の1対1にはまだまだ全然慣れていない。駆け引きの部分で負けた。終わってみれば、あそこはファウルで止めても仕方ないところだったと思う」と、試合後、酒井は悔しがった。プレシーズンマッチでは、早々に堅実なプレーを見せ、素早くチームに順応し始めているように見えた。だが、この時期の対戦相手はローザンヌ(スイス)、アヤックス(オランダ)など外国クラブで、リーグアンのクラブがひとつも含まれていなかったことを特記する必要がある。つまり酒井は事実上、この第2節で初めて、身体能力の優れたフランスの黒人選手たちと対戦したのだ。

「身体能力の高いドリブラーがここまで大勢いるリーグは珍しい。スピードに乗るのがめちゃくちゃ速い。1対1に強いと自分では思っていたけれど、そういう自負をすべて粉砕された」と後に酒井は言っている。しかし「でもその分、すごくいい経験させてもらっている」と言い添えた通り、酒井はタダでは転ばなかった。

「あのあと少しは落ち込んだけれど、貴重なレッスンだったと思う。ヨーロッパのサッカーの違いを体感できたことが、自分ではすごくうれしかった」と酒井は言う。「名前も聞いたこともないような選手が、自分をぶち抜いていくわけですから。本当にすげえなと思って、最初の2、3試合は、すごく勉強になった」

プライドを捨て、1対1の対応を変更

 肝心なのは、酒井がここからいかにして、新しい現実に順応していったかという点だ。次の試合での酒井は、むやみに攻撃に出ることなく、より注意深く、そつない守備を心掛けている様子だった。それでも、そこからの数試合はフェイントがうまく、俊敏な黒人系アタッカーのマークに、まだてこずっているように見えた。

 ところが、シーズンが進むにつれて酒井の守備は安定し、危ない場面は次第に数を減らしていく。酒井は修正の過程をこう説明した。

「ギャンガンでしてやられて、次の試合ではまず対応が悪かったのかと思い、もっと予測するようにして、1対1の対応を見直したんです。それでも抜かれたので、対応じゃないなと思った。第一に俺の力不足と、やはりこの人たちが、本当に1対1がうまいからなんだと感じたので、なるべく1対1のシチュエーションを作らないように守ってみようと思ったんです。

 DFとしてすごく屈辱的だったけれど、プライドをひとつ捨てたので。1対1のスタンスを捨て、そうなってしまった場面は仕方ないけれど、なるべく前を向かせないで、後ろ向きの状態でボールを受けさせるようにし、より近い距離で常に相手を見ているような守り方に変えたわけです。そしてセンターバック(CB)にも、結構近くにいくから、裏を取られたらよろしくねと言っておいて、連係して守ることも心掛けました」

 純粋な反射神経などの身体能力でかなわないことを認めたこの守り方は、効力を発揮をした。余裕があるとまではいえない。しかし前半戦(第19節まで)のマルセイユが、ホームで無敗の上、1失点しかしていないことは、そこそこ機能している証拠だろう。

新オーナーが決まり、クラブの土台が安定

オーナー交代後、ルディ・ガルシアが新監督に就任した 【写真:ロイター/アフロ】

 守備の安定とともに、酒井は攻撃的MFフロリアン・トーバンとの連係を育みつつ、サイド攻撃でも評価を高めていく。だがその前に、説明しておくべきことがひとつある。それは、酒井加入当初のマルセイユの状況だ。

 酒井がやって来たとき、オーナーがクラブの売却を決めたマルセイユは売りに出ていながら、まだ売れていないという微妙な状態にあった。そのため、酒井到着前後の時期には、クラブの財政的収支を黒字にしておくため、いい値がつきそうな選手はことごとく売る、という作業が行われていたのである。2016−17シーズン夏の移籍活動は、控えめに言っても、計画性があるものではなかった。

 将来がどうなるかも分からない状況に、残った選手も浮き足立ち、チームは不安定な状態だった。しかし、8月29日、ようやく新オーナーが、元ドジャーズオーナーの米国人フランク・マッコート氏に決まる。「第一のゴールは、毎年優勝を目指して戦えるチームを築くこと」としたマッコート氏は、「必須事項は、ピッチ内外で長期的展望を持った、堅固でプロフェッショナルな運営組織を築くことである」と明確な方針を発表。これで揺らいでいたクラブの土台が固まった。

 そして、10月半ば、譲渡の手続きが完了した3日後に、新監督ルディ・ガルシアがマルセイユにやってくる。ル・マンで松井大輔を率いたガルシアは、リールでの二冠を経て、ローマでも成功を収めたフランスでも屈指の評価を誇る監督だ。

 もちろん、すべてがいきなり良くなったわけではない。しかし間違いなく流れは変わり、ガルシアの指揮のもと、真摯(しんし)な姿勢を持つマルセイユは、ようやくいい方向に進み始めるのである。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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