山崎直之「まだやれることを示したい」 長い不振経て、オランダで取り戻した輝き

中田徹

マイアミでのトライアルで戻った自信

山崎(左)のスランプ脱出のきっかけは赤ちゃん体操をやるようになったことだという 【Getty Images】

――コンディション不良は沼津時代のけがの影響?

 もう完治していたので、あまりその影響はなかったと思います。実は、大学4年の頃からずっとコンディションは戻っていなくて、沼津時代も……。

――長いスランプですね。

 体だけじゃなくて、メンタル的なこともあったかもしれません。15年2月の終わりまで粘って、Jリーグのクラブのセレクションを受けましたが落ち、現役を引退することにしました。まだ、サッカーを続けたい気持ちはあったけれど、思い通りのプレーができないなら、やり続けても仕方がない。苦渋の決断でした。でも、気が付くとボールを蹴っていました。1人で公園に行って、壁にボールを蹴って、「やっぱりボールを蹴るのは楽しいなあ……」って。

 以前、オファーをもらったことのあるHBO東京に6月末頃、自分から連絡を取って入団しました。東京都1部リーグ所属ですが、海外を目指す選手を支援しているクラブで、レベルはともかく、選手の意識は高かった。何より、自分にとっては仲間がいて、一緒にボールを蹴ることができたのがありがたかった。この時期は、ホテルの婚礼・宴会場で配膳係をしながらサッカーをしてました。

 HBO東京の紹介もあって、16年2月に米国へ飛び、マイアミ・ユナイテッドのトライアルを受けました。結局、ビザを取るのが難しく、契約はできなかったんですが、3カ月間、マイアミで過ごしているうちに自分のコンディションが戻り、試合に出たら活躍できて、クラブからも高い評価をいただけました。実力で落ちたとは思っていません。「こんなに調子が良いのにサッカーを辞めるのはもったいない!」とマイアミで自信が戻りました。

――スランプ脱出のきっかけは?

 2人の理学療法士、大曽根聡さんと永田将行さんと出会って「赤ちゃん体操」をするようになったのは大きかったです。僕と幼なじみの井村(雄大、現リッチモンド・キッカーズ)くんは順天堂大学時代、大曽根さんにお世話になっていた。井村くんと近況を情報交換している時に「こういうメソッドがあるよ」と教えてもらい、沼津を辞めた後からトレーニングに通うようになりました。だけど、大曽根さんの診療所は群馬だから遠かった。それで大曽根さんから東京の永田さんを紹介してもらって、2週に2、3回、赤ちゃん体操のトレーニングを続けることになりました。

――引退していた昨年2月から6月も、赤ちゃん体操は続けていたんですね。なぜ?

 うーん。自分でもよく分からないんです。とこか、心の中にもう一回、サッカーをやろうという気持ちが潜んでいたのかもしれません。でも、赤ちゃん体操はサッカーのためだけでなく、生きていくため、そして健康になるためのものでもあります。お通じや姿勢がよくなり、身体の可動域も広がりますから、生活していて楽になります。一般の方がヨガをするような感覚で通っていました。

赤ちゃん体操の効果がサッカーに

「ようやくプロの舞台に立てたので、まだやれるということを示したい」と山崎 【中田徹】

――砲丸投げの室伏広治選手、テニスの錦織圭選手も取り組んでいるという赤ちゃん体操ですが、山崎選手の口からメソッドを解説してもらえませんか?

 赤ちゃんは“はいはい”や“寝返り”を力を入れずに自然とできますよね。しかし大人になるにつれて、そうした基礎的なものを失ってしまう。自分の場合もそうだったと思うんですよ。うちの家系は猫背気味なんですが、僕もだんだん姿勢が悪くなって(基礎的な動きを)失っていった。その基礎的なものを取り戻すのが赤ちゃん体操だと思います。

――具体的なトレーニング方法は?

 背骨を1本、ストレートな状態を保つ。寝返りを打っても真っすぐなまま動作する。自分では分かりづらいけれど、頭は重たいですし、背骨を真っ直ぐに保ったまま動作をするのは難しく、客観的に見るとどこかがズレているんですね。それを1本、ピシッとしたまま、あらゆる動作をかなりゆっくりした動作でやるんです。ゆっくりやるのは大変なんですよ。トレーニングのメニューはたくさんあって、毎回違うトレーニングをします。

――永田先生いわく、「赤ちゃん体操は練習のための練習であって、サッカーに役立つかどうか、それは分からないけれど、少なくとも快適な生活は送れるよ」と。

 はい、言ってますね。

――でも、山崎選手の場合、サッカーに生きているんですよね。

 はい。僕の場合、マイアミでそれを感じました。井村くんも米国でゴールをたくさん決めて、結果を出しています。

――マイアミということは、赤ちゃん体操をやり始めてから1年以上経っています。

 すぐにはパフォーマンスに表れないので、最初は半信半疑だったんですが、動きが滑らかになり、一瞬の判断ができるようになりました。相手のアクションに対して、リアクションを変えられるというか。自分がボールを持っている時に相手が足を出してきても、瞬時に対応できるようになりました。

――山崎選手の今のボールキープを見ていると、スムーズに相手の逆、逆をとっている。アスリートにとって、赤ちゃん体操は効果が出るのに時間はかかるけれど、大事ですね。

 アスリートというより、人が生きていく上で大事なんです。みんな若かりし頃に戻りたいじゃないですか。プラス、(アスリートとしては)筋肉をつければいい。赤ちゃん体操の基礎ができたら、ある程度、フォームが決まっているんです。猫背だったスクワットも背骨がまっすぐなままできるようになり、より効果が高くなります。今は週に2回、サッカーの試合時間に合わせて90分間、赤ちゃん体操をやっています。1回やると、どっと重たい疲れがきます。

――5月にマイアミから日本に戻り、6月にオランダに来て、テルスターのトライアルを受けて、と慌ただしかったですね。

 もともと夢はヨーロッパでした。オランダもU−19日本代表の一員としてフローニンゲン国際大会に来て、サッカーも(アリエン・)ロッベンとかすごいスター選手がいて、良い国だと思っていました。

 こうしてプロサッカー選手になるまでに、自分にはやり続けたことがあった。体のこともそう。食事もかなり勉強しました。テルスターはやっとつかんだチャンス。ようやくプロの舞台に立てたので、今までやってきたことを継続し、まだやれるということを示したいです。

山崎直之(やまざき・なおゆき)

1991年5月5日生まれ、東京都出身。181センチ、70キロ。ポジションはMF。FC東京U−15深川→FC東京U−18→東京学芸大学を経て、2014年アスルクラロ沼津(当時JFL)に加入。15−16年は東京都社会人リーグのHBO東京に在籍。その間もフィンランドや米国で挑戦を続け、16年6月、オランダ2部テルスターのトライアウトに合格。第6節のデ・フラーフスハップ戦、25歳で遅咲きのプロデビューを果たした。U−18、U−19日本代表選出経験を持つ。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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