太田宏介が胸に刻む「継続」という言葉 小林祐希との日本人対決で7戦ぶりに先発

中田徹

小林祐希とともにフル出場

ヘーレンフェーン戦で7試合ぶりにフル出場を果たした太田 【VI-Images via Getty Images】

 11月19日(現地時間、以下同)に行われたエールディビジ第13節ヘーレンフェーン対フィテッセは1−1の引き分けに終わった。小林祐希(ヘーレンフェーン)と太田宏介(フィテッセ)は共にフル出場を果たした。

 左サイドバック(SB)に入った太田にとっては9月25日のトゥエンテ戦(1−2)以来、7試合ぶりの先発だった。最近の練習ではレギュラー組としてプレーすることもあり、「ちょっとは(先発の可能性も)あるかな」と思っていたという太田だが、試合前日の練習では控え組だった。

「試合当日、先発を言われました。ちょっとビックリしました」(太田)

 だが、ヘーレンフェーンのユルゲン・ストレッペル監督は、太田が試合開始から出場するシナリオも読んでいた。試合前日、ストレッペル監督は「太田が左SBに入って、アーノルド(・クラウスバイク)がセンターバック(CB)を務めるかもしれない」と語っていたのだ。

 敵将に「太田が先発するかも!?」と思わせたのも、太田がフィテッセのリザーブチームである“ヨング・フィテッセ”の一員として12日のオランダ3部リーグ、対バーレンドレヒト戦で見せたパフォーマンスと関係あったのかもしれない。この試合は4−4というかなり大味なものだったが、太田はアビオラ・ダウダのヘディングによるゴールをアシストした。低く鋭いカーブをかけたFKはとても印象に残るものだった。

「やっぱり今日は勝ちたかったですね。ここのところ、ずっとチームが勝っていなかったので、自分が出る試合で勝ちたいという思いは強かった。でも、普段のフィテッセではあそこまでSBが上がることは皆無に等しかったので、自分の特徴は出せたと思う。(自分が蹴る)クロスやCKに対しては、もっと中に入ってきてほしかったですけどね」(太田)

代表戦に呼ばれるも、試合に出られない日々が続く

 9月、10月のインターナショナルマッチウイークで、太田は日本代表に招集された。9月1日のUAE戦前には「長友佑都のけがで太田が左SBとして先発か」という記事もあった。しかし、この2カ月、代表チームでの太田の出場機会はゼロ。とりわけ10月はオーストラリアとのアウェーゲームがあったこともあって、太田の飛行距離は3万4000キロにも及んだ。それにも関わらず、試合をすることなくオランダに戻ってきたことは現地でもニュースになっていた。

 11月の代表マッチに呼ばれなかったことに悔しさはあっただろうが、それでも、この期間をクラブでの練習に集中できたことは太田にとってプラスに働いたのではないだろうか。

「クラブで試合に出ていない中で代表にいって、代表でも試合に出ていなくて、クラブに帰ってきてもほんのちょっと出たり出なかったり――。そんな2、3カ月だった。この2週間、代表選手が抜けて練習の人数は少なかったけれど、自分のモチベーションは常に高かった。そういう姿を少しは(テクニカルスタッフも)見てくれていたと思う。『継続(が大事)』かなと思います」(太田)

 そう話す太田の背後に、いつの間にか小林がいて、オランダ人の親子と写真を撮っていた。親子の近くにはスパイクが2セット置いてある。

「これが、もしかしてツイッターの男の子?」と太田が声をかけると「そう」と小林が頷いた。アベ・レンストラスタディオン(へーレンフェーンのホーム)で日の丸を振りなが応援する子供の写真をインターネットで見つけた小林は、「この写真の男の子にスパイクをプレゼントしたい」とツイッターに載せ、この日、それが果たされたのだ。

この試合を出場継続と代表復帰につなげたい

小林は太田(右)のプレーに「フィジカルの強さを感じた」という 【VI-Images via Getty Images】

「(日本人対決は)楽しいですね。祐希がめちゃくちゃパスを散らすから、うぜえなと思いました(笑)」(太田)

「前半、(太田が)ライン際でふっ飛ばしていて、フィジカルの強さを感じた」(小林)

 小林が「ふっ飛ばした」というシーン。それは32分、左サイドの深い位置で強気にドリブル突破を仕掛けた太田が、一度はアルベル・ゼネリにボールを奪われるも足を絡ませて奪い返し、相手を抜き去った場面のことを指すのだろう。太田は守備の面でもゼネリにほとんど仕事をさせなかった。

「うちの(ミロット・)ラシカは、俺のマッチアップする相手(ゼネリ)と同じコソボ代表で、試合前に特徴を聞きました。『縦(への突破)しかない』ということでした。外に行かせる分には良かったので、そこはうまくできたと思います。前半は相手のCBからのロングボールにプレスが掛かっていなかったので、そこは対処してくれと言って、後半は冷静にできました」(太田)

 試合に出られなかった時期も、ずっと太田は「継続」という言葉を胸に刻んで日々を過ごしてきた。それがやっと実ってヘーレンフェーン戦につなげた。これをさらにフィテッセでの出場継続と日本代表復帰につなげたい。
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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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