川田将雅の迷いなき野望 目の前の敵を射る―1000勝インタビュー―

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「うちの馬は、お前が乗るようには作ってない」

松田博資元調教師(右)から言われた言葉が川田を大きく変えた 【netkeiba.com】

 川田が理解を深めるきっかけを作ったのは、ほかでもない、今年の2月いっぱいで引退した松田博資だった。川田が主戦となるずっと前、松田博厩舎の忘年会に参加した際、師からこんな言葉をぶつけられたという。

「お前が乗ると、うちの馬が壊れる。うちの馬は、お前が乗るようには作ってない。だから、お前を買っている近藤オーナーの馬以外は乗せへん」

 当時の川田は20代前半。師のいきなりの叱責には、さぞ面食らったことだろう。が、ここで川田は立ち止まり、そして自分のそれまでの騎乗を顧みた。

「自分の何がいけないんだろう、なぜ怒られたんだろう、いったいどう乗ったらいいんだろう…と、あのときは本当にいろいろ考えました。そこで気づいたのが、松田厩舎の馬はゆっくり動くように作られているのに、“今の自分にはオンとオフしかない”ということ。なにしろ直線に向いた瞬間、遮二無二追っていた時代でしたからね。その先生の言葉をきっかけに、馬をトップスピードに乗せるまでの過程を大事にするようになり、その結果、今の僕があると思っています。

『お前はうちの馬には乗せられない』というところから始まり、引退間際はほぼすべての馬に乗せてくださるまでになった。だからといって、先生に認められたなんて思っていません。最後に『将雅でいいや』と思っていただけたんだとしたら、僕はそれで十分満足です。

 よく、経験を“財産”という言葉で表現しますが、僕にとって松田厩舎での数年間は、文字通り“財産”です。解散が迫った数年の、スタッフが一丸となって目標に向かう姿を見て、競馬に対する認識が少し変わりました。そういった貴重な時期に深く関わらせていただいたことは、ジョッキーとしても人間としても、本当に大きな経験になったと思っています」

可愛がられて人脈を広げていくタイプではない。だから、また乗せたいと思ってもらえる騎乗をする

 松田の言葉をきっかけに立ち止まり、そして開けたトップジョッキへの道──。その間には、多くの苦悩があったはずだが、川田に「“これから自分はどうしたらいいんだろう…”と、漠然と迷った時期はありませんか?」と問うと、「ないです」と即答。立ち止まることはあっても、とにかくブレない、迷わない。これが川田の真骨頂であり、錆び付くことを知らない大きな武器なのだと思う。

「さっきも言ったように、目の前のひとつひとつのレースで精一杯でしたから、迷う暇なんてなかったです。それに、もともと目指すところはひとつですからね。僕は人付き合いが苦手で、可愛がられて人脈を広げていくタイプではない。だから、競馬で求められた以上の結果を得る、また乗せたいと思ってもらえる騎乗をする、本当にその一心でここまでやってきました。

 キャリアを積むごとに理解してくれる方も増えましたが、それでもまだ僕のことが嫌いな人は多いと思います。でも、それはもうしょうがない。それが僕であり、今さら変わることはできないし、変わろうとも思っていません。でも、そのぶん競馬で結果を出す。それが僕のやり方ですから」

「競馬で求められた以上の結果を得る、また乗せたいと思ってもらえる騎乗をする、その一心でここまでやってきました」 【netkeiba.com】

 競馬ファンのなかの川田のイメージは、「クール」「怖そう」「生意気」「目つきが鋭い」などといったところか。言動のすべてが“川田ルール”のなかで展開され、媚びることが一切ないため、敵を作りやすいのは確かである。が、こんなことを言うと「僕のイメージじゃない」と本人に怒られるかもしれないが、実際の川田は、とても心根の優しい男である。松田博資の引退当日のパドックでグッと涙をこらえる姿、時折勝利ジョッキーインタビューでもらす嗚咽などからは、人と馬への隠しきれない愛情が溢れていると筆者は思う。

 自身や騎乗馬についての取材対応も、こちらの知識に合わせ、かみ砕いた表現で一生懸命に伝えてくれる。公にされるコメントはそっけないものが多いが、それも過去にコメントを歪曲され、人を傷つけてしまった経験があるだけに、誤解を招かないようにするための川田なりの防御。そのやり方が正しいかどうかは別として、不器用なりに生きる道を探ってきた結果なのである。

「ジョッキーとしてだけではなく、“生き物”としても僕は珍しいタイプでしょうねぇ(笑)」と、自虐的に笑う川田。これには筆者も「そうですね(笑)」と即答した。確かに、何事においてもこだわりが強く、“柔軟”という言葉とは真逆にいる人間かもしれない。それだけに、損をしてきたこともたくさんあるだろう。一方で、だからこそブレることなく、ここまで上り詰めることができたのではないかと思うのだ。

 人脈によるバックアップもないなか、2年目にフリーとなり、騎乗馬のラインナップが厳しいなかでも、「ひとつでも上の着順を」と闘志を燃やし続けてきた。もちろん、小原靖博、井上政行といった、関西を代表するエージェントの力も大きいだろう。が、敏腕エージェントが付いたからといって、誰もがトップジョッキーになれるほど甘い世界ではない。そこは、人並み外れた闘志が宿った腕一本──。川田将雅というジョッキーを思うにつけ、まさに“のし上がってきた”という表現がピタリと当てはまる。若手の苦境が叫ばれて久しい昨今、ベタな表現ではあるが、彼の存在は“希望の光”のような気がしてならない。

 実際、最近になって、川田もこんな言葉を漏らすようになった。

「最近思うのは、若手に夢を与える存在にならなければということ。今、この位置にいる僕があきらめたら、それこそここで終わってしまう」

「日本一のジョッキーに」──デビュー当初から川田が言い続けてきた目標だが、それについても、漠然と“リーディングジョッキーになりたい”というのではなく、レースでひとつでも上の着順を目指すのと同様、まずはひとつ上にいるジョッキーを抜き去ることを考えてやってきた。

「いきなり“そこ”には行けませんからね。若い頃は、毎週リーディングの順位をチェックしながら、まずはひとつ上の順位にいるジョッキーを引きずり下ろすことを目標にやってきました。満塁ホームランを打てばひっくり返せる野球とは違い、毎週毎週の積み重ねでしか上は目指せませんから。

 ただ、正直ここ数年は、ちょっと闘志が薄れていたんです。でも、今年に入って気持ちがまた変わってきて。これだけチャンスのある馬を任せていただけるようになったからには、やっぱり上を引きずり下ろさなくてはと。厳しい時代ではありますが、何とかなるんじゃないかという手応えを感じています」

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