U−19代表、三好康児が示した成長の証 プロ1年目の挫折で手にした客観的な視点
1年前は日本代表にも入れず
AFC U−19選手権の初優勝に貢献した三好(中央)は、1年前は日本代表を外れていた 【写真は共同】
三好康児は昨年の9月から10月にかけてラオスで行われたAFC U−19選手権の予選で、メンバーに入ることができなかった。昨年1月のチーム立ち上げ時は、代表メンバーに選ばれていた。2013年にはUAEで行われたU−17ワールドカップ(W杯)にも出場し、ベスト16進出に貢献した秀英MFは、この代表では最年長の年代(1997年の早生まれの選手たち、三好は3月26日生まれ)であり、当然のように主軸を張る存在の一人であった。
15年に川崎フロンターレU−18からトップチーム昇格を果たした彼は、4月にJリーグデビューを果たしたことなどからさらに注目度を高めた。しかし、それ以降は試合から遠ざかり、当時J3リーグに参加していたJリーグアンダー22選抜で8試合に出場したが、一度失った試合勘を取り戻すことはできず、代表に呼ばれても精彩を欠いた。その結果、彼は代表から落選し、しばらく招集されなくなった。
「正直、コンディション面で難しいことが多かった1年でした。甘かったというか、1年目だったので、自分の中で思ったよりも違う感覚がありました。ユースまでは自分の感覚を大事にできたというか、やりたいことをやらせてもらっていました。でもプロになって、周りのレベルが上がって、自分よりうまい選手がたくさんいる中で、自分をどう出していくか。そこで葛藤や迷いが生まれて、どんどんコンディション調整がうまくいかなくなりました」
立っているはずのラオスの地に立てなかった悔しさと、思うようにいかないプロでの日々。彼は苦悩した。今年に入っても、AFC U−19選手権のシミュレーションを兼ねた3月のバーレーン遠征メンバーに選ばれなかった。
自分を客観的に見つめ直し、変貌を遂げる
三好(中央)は自分を客観的に見つめ直したことで、Jリーグでも出場機会を得ている 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】
プレーでも、精神面でも自分という存在を見つめ直し、中村憲剛、大久保嘉人、小林悠といった日本でトップクラスの先輩たちのプレーを分析。オフ・ザ・ボールの動きや動き出しの質や、タイミングなどを自分のプレーに落とし込んだ。
この変化が彼を一段と成長させる。今季は4月の1stステージ第9節ガンバ大阪戦で交代出場したことを皮切りに、5月の柏レイソル戦で初先発を果たすと、その後もコンスタントに出場機会をつかみ、7月にはベガルタ仙台戦でJ1初ゴール(プロ初ゴールはJ3)をマーク。その後も2ゴールを挙げ、優勝争いを演じるチームに欠かせない存在にまで成長を遂げた。
この変貌ぶりにU−19日本代表の内山篤監督も、「去年1年間の経験というか、早生まれの得というか。プロを1年経験して、自分のコンディションは人が作ってくれるのではなく、自分で作っていくものという意識が芽生えてきた。当然、予選メンバーから外れた悔しさもあって、成長したと思う。本当に良くなった」と目を細める。三好を再び代表に呼び戻すと、AFC U−19選手権のメンバーにも選出し、左サイドハーフのレギュラーに据えた。
「U−17W杯の経験は自分にとって大きなプラスで、今の自分にもつながっています。だからこそ、U−20W杯に出て、さらに経験を積みたい。あの大会(U−17W杯)に出ていた選手の中にも、もう世界のトップで活躍している選手が結構います。自分たちも活躍すればそこにつながっていけると思います」
15年の1年間で成長した自分を示し、もう一度世界の真剣勝負の舞台を経験したい。強い意志を持って、彼はAFC U−19選手権が行われるバーレーンの地に降り立った。