連載:東京五輪世代、過去と今と可能性

シュートを愛する小川航基「野望はある」 東京五輪世代、過去と今と可能性(1)

川端暁彦

ジュビロ磐田の期待のルーキー、FW小川航基。“東京五輪世代”のエースの「これまで」と「未来」に迫る 【写真:川端暁彦】

「U−23」という独特のカテゴリーで行われる五輪の男子サッカー競技。2016年夏、リオデジャネイロへ挑んだチームは無念のグループリーグ敗退に終わったが、自国開催となる4年後の東京五輪で同じ結末は許されない。「金メダル」を目標に掲げるチームの中核を担うのは、現在「U−19」の選手たちである。この連載では、そんな「2020年」のターゲットエージに当たる選手たちにフォーカス。彼らの「これまで」と「未来」の双方を掘り下げてみたい。

 第1回目に取り上げるU−19日本代表のFW小川航基は、今年初めの高校サッカー選手権で桐光学園のエースとして活躍し、今季からジュビロ磐田に加入した期待のルーキーだ。リオ五輪代表にもトレーニングパートナーとして帯同し、大会直前に行われたブラジルとの親善試合にも出場した男が目の当たりにした「世界レベル」との距離感とは? そして開催を目前に控えるU−20W杯アジア最終予選(AFC・U−19選手権)についても聞いた。

ブラジルだけはちょっとレベルが違った

小川はトレーニングパートナーとしてリオ五輪代表に帯同し、ブラジルとのテストマッチにも出場した 【Getty Images】

――U−20W杯のアジア最終予選を兼ねるAFC・U−19選手権の開幕が迫ってきました。

 リオ五輪のトレーニングパートナーとして帯同したとき、手倉森(誠)監督に言われたんです。「いま日本では、五輪に出てからA代表へなっていくような流れができている。でも、そうじゃないんだ。U−20のワールドカップ(W杯)に出てからA代表になっていく。20歳でA代表になっていることを目指さないとダメだ」、と。

 そのためには、まず(来年の)U−20W杯自体に出ないと話にならない。日本がそういう流れになってしまったのは、4大会連続して(U−19W杯のアジア予選で)敗退しているからでしょう。いざ出場すれば注目してもらえるだろうし、五輪に向かって周りからも期待してもらえると思うんです。僕はここが、サッカー人生の節目くらいに思っています。出られるか出られないかで、その後がまるで違ってくると思いますから。

――磐田のチームメートには、2年前のU−19代表選手もいますよね。

 (川辺)駿くんの話はいろいろと聞きました。でも、あれだけの選手たちがいたチーム(南野拓実、中村航輔、関根貴大、井手口陽介ら)でも予選を抜けられないというのは、相当厳しい世界だな、と。

――リオ五輪での経験はどう捉えていますか。

 ブラジルとできたことは本当に良い経験でした。間違いないですね。五輪代表選手のレベルがどのくらいなのかを肌で感じられたことも良かった。4年後、最低でもこのくらいのレベルにないといけないという基準を得ましたから。自分が劣っている部分はたくさんありましたけれど、でも「やれるぞ」と思える部分もあって……。パススピードやゴール前の迫力はU−19のレベルとは違いましたけれど、届かないことはないな、と。

――では、ブラジルと比べると?

……いや、ちょっと違いましたね、ブラジルは。本当に小学生と大人の試合みたいになってしまいましたから……。チームで頑張ってボールを奪っても、また奪い返されてしまう気しかしないんですよ。あんな感覚はちょっとない。テレビで見ている人よりも、現場でやっている僕らのほうが、より差を感じたと思います。

 ネイマールは確かにすごかったですけれど、彼だけじゃないですからね。みんな、うまい。しかも、うまいだけじゃなく、強くてつぶせる選手ばかり。ブラジルだけはちょっとレベルが違うとは思いました。やっぱり守備のところですよね。ボールをすぐに奪い返されてしまうあの感覚は……。世界はまだまだ遠いなとは感じました。

――ただ、その差を詰めないといけない。

 体感しただけじゃ意味がないですからね。そこは分かっています。

トレセンの選考会にすら呼ばれていないレベルだった

小川が初めて日の丸を付けたのは昨年のこと。「初めて呼ばれて、本当にうれしかった」という(写真は16年3月のもの) 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 小川が初めて日の丸を付けたのは昨年のこと。そこまでは県レベルでくすぶっていたのかと言えば、それも違う。高校に入るまで、日本サッカー協会の才能発掘システムにおいて、まるで評価されることのなかったタレントだったのだ。一方で、小川が持つ傑出した才能は、日本サッカーが長く弱点としている部分に重なっている。よく言われる「決定力不足」という曖昧な表現をあえて避けて言うと、「シュートの質」ということになる。

――代表に初めて入ったときのことは覚えていますか?

 もちろん。U−18日本代表のロシア遠征(2015年1月)で初めて呼ばれて、本当にうれしかったなあ……。正直、考えてもいなかったですよ。高校のときは「選手権のあの舞台で何とか活躍してやろう」ということだけ考えて練習していましたから、代表なんて(笑)。

――トレセン(地域の選抜練習会)は入っていました?

 トレセンに入るどころか、トレセンの選考会にすら呼ばれていないレベルですよ(笑)。国体の神奈川県選抜も、候補にすら入っていないですから。小学生のときは横浜市でプレーしていたので(横浜港北SC)、横浜F・マリノスも当然受けましたけれど、引っかかりもしなかった(苦笑)。横浜FCのスクールにも通っていたんですが、やっぱり声はかからなかったですね。

 だから、神奈川県の強豪クラブをチームみんなで受けたんですけれど、俺だけ1次試験で落とされましたから。他に受けたみんなは受かっていたので、それはホントにショックで……。(中学時代を過ごした)大豆戸FCが拾ってくれなかったら、普通に部活でサッカーをしていたと思います。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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