日本ハム・鍵谷「人のために壁を超える」 道産子右腕としてファンの期待を背負って

週刊ベースボールONLINE

将来像は公務員から一転

高校3年夏に甲子園初出場。1回戦で14安打を喫して敗れるも、仲間からは「ここまで連れてきてくれてありがとう」。この言葉が、のちの野球人生の支えとなっている 【写真=BBM】

 思いがけずに足を踏み入れ、突き進んできた世界だった。鍵谷が実直に現実を受け止め、局面を乗り越えていく能力のバックボーンは、アマチュア時代にある。七飯中時代は、各地域を勝ち上がった実力校が出場できる全道大会の出場経験もなし。エースではあったが「周りには、僕よりもうまい選手がいっぱいいた」という程度で、自身の潜在能力に気付いてはいなかった。

 当時、おぼろげに描いていた将来像は公務員。函館市内の進学校へ入学し、安定した職業へ就くという選択肢が現実的だったが、全国最多の夏の甲子園出場回数を誇る名門・北海高から推薦入学の勧誘を受けた。一度は断りの連絡を入れ、「行きたいと思ったら受験をします」と保留した。するとすぐさま、野球部関係者らから「今すぐに決めなくていい。いつまでも待ちます」と返答をもらった。少し考えた末に、親元を離れて札幌市内で高校野球に没頭することを決断した。今になって振り返ってみれば、運命の分かれ道だった。プロ野球選手になるという野望は、そのときでさえ、まったく脳裏になかったという。

 才能を引き出され、頭角を現していった。同学年の新入部員は、えりすぐりの約20人。「体力も下から2、3番目くらいで、練習にまったくついていけなかった」とカルチャーショックを味わった。それでも期待値から1年夏には背番号をもらい、同期の1年生3人がベンチ入りした中で、鍵谷も選ばれた。順風満帆に2年秋にはエースとなり、3年夏には甲子園へと導いた。

 それでもまだプロは夢でもなく「北海高の練習がきつ過ぎて、野球はちょっと……」とプレーヤーとして潮時にしようと、考えたこともあったという。それでも知らず知らずに伸ばした芽は、全国から脚光を浴びていた。

分岐点となった2人との出会い

 複数の大学から誘いを受けて「勉強じゃ無理なので」と選んだのは、東都大学リーグの中大。プロを多数輩出し、当時率いていたのは東映、巨人の投手としてプレー経験を持つ高橋善正監督。2学年上には、プロから熱視線を浴びている同じ本格派右腕の澤村もいた。この2人との出会いが、人生の分岐点となる。プロ野球選手という想像さえしなかった夢が、ふくらむ契機となった。

 化学反応が、気付いていなかった資質を一気に呼び覚ます。入学直後の1年時は「あのころは、ひどくて」とレベルの差を痛感する日々。公式戦で一度も登板機会を得ることなく、2シーズンを終えた。ただ感性は磨かれ、思考が変化していった。

「澤村さんと、高橋監督に出会ったことが大きかった。プロ出身の監督と、本当にオレはプロに行くんだというギラギラした先輩の2人。中大は投手の練習を投手が決めるので、澤村さんと一緒に練習する機会が増えたんです。ウエートトレーニングとか走り込みとか、キャッチボールとか一緒に練習させてもらうようになって意識が変わった。プロに行けるとかではなく、中大に来たからには頑張らないといけないんだと思えました」

プロへの道が明確になった大学時代

 当時の中大は投手王国。澤村のほか、のちに社会人へ進んだ先輩がひしめいていた。転機は2年秋のリーグ戦。澤村らライバルが一斉に故障で離脱すると、出番が巡ってきた。主にロングリリーフで重要な一戦でも快投を連発。球速も自己最速を更新し、メディアからも注目の新星として脚光を浴びるようになった。

「そういうレベルに来たからには挑戦しようと。そこから1つギアを上げて、志望はプロ一本になりましたね。もしダメだったら、勉強し直して就職すればいいと。プロにはこれを逃したら行けないですし、ほかの仕事には頑張ったら行ける」

 3年時は右ヒジの故障もあり不振に終わったが、勝負の4年を迎えて回復。そのころには、プロのスカウトが練習をチェックしにグラウンドへ訪れるようになった。堅実な公務員から発展していった道は、一本になった。プロ入りへと心を決めると、奇跡的な縁で結ばれた。

 12年10月25日、ドラフト会議。日本ハムから3位指名を受けた。それまで指名されると想定していない、追跡されている気配もなかった郷里の球団に射止められるのはサプライズだった。

「周りの人がすごく喜んでくれましたね。北海道の友達、あと親戚も多いので、祝福はすごかったですね。『あ、北海道に帰れる』って、うれしかったです」

目指すべき一つの大きな夢

 リリーフのスペシャリストとして、あれから4年の歳月を経て今季、リーグ優勝を果たすことができた。まだ日本一という最大の目標への挑戦が残されてはいるが、これから先の人生に新しい夢ができた。

「中継ぎをやっているからには一番後ろを投げたい。やっぱり北海道のチームで、北海道の選手が最後に試合を締める。それって一つの大きな夢になるんじゃないかなと思う。期待する人がいる限り、そこを目指してやりたい。そのためには、やらないといけないことはたくさんある。体も大きくないし、飛び抜けた能力もない。でも、目指さなければいけない。そこは、やっぱり、やりたい」

 道産子守護神へ──。

 鍵谷を支えている、1つのポリシーがある。

「欲も野心もありますけれど、自分のためにやることには限界がある。応援してくれる人のため、期待してくれる監督、コーチのため……。そう思うと、自分の限界は簡単に超えられる。人のためだと思えば、自分の壁を超えられるし、超えていける。それが力になる」

 北海道民の思いを背負って、腕を振る。険しいマウンドに立ち、歓喜の瞬間を運ぶ。まだ誰も見たことがない進むべき道が、北の大地に真っすぐに伸びた。

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