日本ハム・鍵谷「人のために壁を超える」 道産子右腕としてファンの期待を背負って
北海道出身の右腕として、ファンの期待に応えるためにマウンドに立つ鍵谷 【写真=BBM】
優勝の瞬間はブルペンで
先発した大谷翔平が1点のリードを守ったまま、9回まで突入した。緊迫した1対0の展開。同期入団した年下のエースが、非の打ちどころのないパフォーマンスを見せた。15奪三振のシャットアウト劇で、4年ぶりのパ・リーグ制覇を果たした。その瞬間、一気に解き放たれた歓喜の輪ができる。鍵谷も身を委ね、酔いしれた。プロ入り以来初めてペナントを手にした。
「僕のプロ生活が最下位からのスタートだったので……。そこからスタートしたので、優勝というのはうれしい。最初は全然、個人的にもチームもうまくいかずに苦しいスタートだったので。そこからチームがまとまって、すごく勝って、勝って……、さらにまとまっていって。最後に決めたのもあるんですけれど、うれしさは大きいです」
入団1年目の2013年は、球団が本拠地を移転して初の最下位。そこから2年連続で3位、2位とAクラスへ浮上し、ようやく手が届いた。無敵と言われた福岡ソフトバンクに最大11.5ゲーム差まで離されたが、大まくり。奇跡的な逆転劇を完成させた、貴重なピースの1つとなった。
「北海道の誇り」その象徴として
「みんな喜んでくれますし、周りから『ありがとう』と言われることが多い。じかに伝わってくる感じも、すごい。そろそろ北海道の選手がファイターズで活躍しないと、もう取ってくれないと思っていたので。僕が頑張らないと、北海道で野球をやっている子たちの道を閉ざしてしまうことにもなる。何とか頑張って、その道を広げたいと思っていました」
宿命でもある、心地よい重圧に打ち勝った。北海道出身選手の先人になった。まずは堂々と胸を張れる優勝メンバーの一員として、積年の思いを遂げたのだ。栗山英樹監督が優勝インタビューの際に絶叫した、あの名文句。「ファイターズの選手たちは、北海道の誇りです」。そのど真ん中、象徴となったのが鍵谷だった。
苦悩した今季序盤
「体は全体的には調子が良かったけれど、部分的には痛みがあって。全然ボールもいかなくて、思いどおりのボールも投げられない。今年はちょっとヤバいなと思っていた」
悪い予感は的中した。開幕2戦目、3月26日の千葉ロッテ戦(QVCマリン)の6回途中で登板し、一死も奪えずに3安打を浴びて降板。2点リードしていたこの回に一挙4点を奪われ逆転負けする伏線になった。
「野手の方が捕れそうで捕れないフライとかが、ヒットになったりとかもして。『やっぱり今年ダメだな』って、最初からつまずいた感じがあった。それは結構、きつかった。一番ひどいスタートだった」
アンラッキーもあったが、立て直すこともできず、好転する兆しもつかめずにいた。分岐点は4月20日の西武戦(札幌ドーム)。2番手で登板し、2回を4安打、2四球も絡んで4失点を喫した。ビハインドの展開でのマウンドとはいえ、相手の猛打に火に油を注ぐような投球内容。傷心で降板した試合後、翌日からの2軍降格を通達された。その時点で、防御率7.04と低迷の極み。プロ入り以来の悲願である勝利の方程式の一角を奪うという野望が、いきなり遠くへかすんでいってしまった。
2軍から復帰後は貴重な戦力に
「このまま終わったら来年もズルズルといくだろうと思って、何とかと……。こういう調子が悪くなるときが野球人生にはあるので、持ち直す術を見つけないといけないなと思った」
ファームではベテランの武田久、今季限りで引退した武田勝らから助言をもらった。2軍首脳陣も、再生するために2試合に1回のペースで登板機会を与え続けた。
「ファームだと抑えられるので、それが自信になって取り戻せたことが大きい。技術的に大きく変わることはない。自信ですよね。やっぱり中継ぎ投手って、自信が大事だと思う。そこの取り戻し方です」
6月に1軍へ再昇格後は、安定感を増した。リードでもビハインドでも、小差の展開ならば出番を得た。試合終盤の流れを占う、要職を託されることになった。
終わってみれば、プロ入りしてキャリアハイとなる48試合登板。ベストパフォーマンスで、少しは借りを返したのが9月26日のオリックス戦(京セラドーム)だ。6回のピンチで好救援を見せた。先発のルーキー・加藤貴之がこの回2点を失い、2点差に迫られ、なおも無死二、三塁のピンチでマウンドへ。無死満塁とされ、自らの守備でミスもあったが、リプレー検証にも救われて無失点。リードを保ったまま、後を受ける投手へとバトンタッチした。優勝マジックを1とした大一番で投手陣のヒーローになり、大逆転優勝の呼び水の1人となった。
「力を発揮できない試合が多かったんですけれど、監督、コーチが我慢強く使ってくれたおかげです。何とか後半は少し力になれたので、良かったかな」
周りのサポートも受けながら、自らの力ではい上がり、最後には笑うことができた。