多くの尊敬を集めた松田丈志の引退 二人三脚で歩んだコーチとの特別な絆
絶大な信頼を集めた人間性
「康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかない」。ロンドン五輪で残した名言は、仲間を思いやる松田ならではの言葉だった 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
ロンドン五輪では日本代表チームのキャプテンを務めた。決して多弁ではないが、背中で語る振る舞いや、心に響く何気ない一言が周囲に絶大な信頼感を与える。だからこそ多くの選手から尊敬を集めた。最後の試合となった国体では、同じレースで泳いだ江原と小堀が松田のレーンに来て、その労をねぎらった。同様にリレーのメンバーだった萩野公介(東洋大)はその光景を見届け、「まだまだできるんじゃないか」と引退を惜しんだ。
こうした人間性を養えたのも、久世コーチの指導によるところが大きい。
「初めて会ったとき、松田は4歳でした。何を教えていけばいいのかなと考えたときに、思ったのがあいさつや返事や礼儀だったんですね。それがきちんと身についたら、あとはどこに行っても練習だけやれば大丈夫だと。そうしていつでも羽ばたけるように小さいころから指導していました。ただ、そういうことをしっかりと植えつけられたのは、人の言うことを聞く耳を持っていた松田自身の強さがあったからだと思います」
「喜ぶ顔が見たい」という共通の思い
2人が重ねた年月は28年にも及ぶ。お互い「喜ぶ顔が見たい」という思いで、二人三脚を続けてきた 【写真は共同】
「本当に長い時間を共有してきたので、機嫌が良いときの顔、機嫌の悪い顔は一瞬で分かるんです。できるだけコーチには笑っていてほしい。真っ直ぐで、自分の感情をストレートに表現する人なので、そういう人が心の底からうれしそうな顔をしている瞬間は僕もうれしい。コーチの喜んでいる顔を見たいという思いでやっていました」
久世コーチには、ある光景が脳裏に焼きついている。小学生の松田が、沖縄県の大会で8位になり、賞状をもらったときの笑顔だ。「あぁ、この子は賞状をもらえることでこんなにも笑顔になるんだ」。そういう表情に何度も出会いたいと思ったのが、28年間もコーチを続けてこられた理由だという。
二人三脚で獲得した五輪のメダルは4つ。一番良い色のメダルではなかったが、久世コーチは松田からメダルをかけられるたびに、満面の笑みを浮かべた。「喜ぶ顔が見たい」というお互い共通の思いは、地方大会からステップを踏み、ついには世界最高峰の舞台で成就したのだ。
久世コーチは松田に感謝を示す。
「常に夢を持たせてくれた。そういう人間に出会えたことをうれしく思っています」
その一方で、今後についてはこんな注文をつけた。
「松田は32歳まで並じゃないくらい体を酷使してきました。引退したことでお酒も飲める、遊びにも行けるからと、ブワァーッとやらないように、内臓を壊さないように気をつけろよ、と言いたいです。そしてまだまだこれからも羽ばたいていく姿を見たいですね」
それを聞いた松田は、苦笑いを浮かべながらも深くうなずいていた。
(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)