多くの尊敬を集めた松田丈志の引退 二人三脚で歩んだコーチとの特別な絆
「1点の悔いもない」競技人生
引退会見で晴れやかな表情を見せていた松田(左)だったが、久世コーチ(右)への思いについて話題が及ぶと涙で声を詰まらせた 【写真は共同】
「コーチがいなければ今の自分はなかったと思います。本当に長い間、常にそばにいてくれた。これから少しずつ恩返しをしていきたいと思っています」
現役最後のレースとなった岩手国体の男子400メートル自由形は3位。有終の美を飾るとまではいかなかったが、それから3日たった12日の引退会見では晴れやかな表情を見せていた。
「自分自身もここ数年は『どういう心境でこの日を迎えるのかな』とイメージしていたんですけど、どうなるか分からないと思っていました。でも今はすっきりしていて、1点の悔いもないという気持ちです」
2004年のアテネ五輪から4大会連続出場。08年の北京五輪と12年のロンドン五輪では、200メートルバタフライで銅メダルを獲得した。また同じロンドン五輪では、4×100メートルメドレーリレーで銀、今夏のリオデジャネイロ五輪でも4×200メートルリレーで銅メダルに輝いた。五輪の金メダルにこそ手が届かなかったものの、まさに「やり切った」と言える競技人生だった。
涙が頬をつたったのは、競技への未練ではない。久世コーチとの二人三脚がそれだけ特別な時間であったからだ。
過酷な環境で手にした強さ
過酷な環境で得たのは肉体的、精神的な強さ。自身の限界に挑戦しながらも、長年トップレベルを維持し続けた 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
「これだけ長くやってきたので、自分にとってはあの環境が当たり前になっているんですけど、先日、国体の前に戻ったときも、やはり宮崎の夏でビニールハウスなので、気温が40度以上あったんですね。陸トレしようと思ってもなかなかできない暑さでした(苦笑)。そのときはよくこの環境の中で自分は頑張ってきたなと思いました。そういう苦しい中でやってきた思い出も、今は自分の誇りとして残っています」
厳しい環境で培われたのは“強さ”だった。32歳という、選手としてはピークが過ぎたと言わざるを得ない年齢で、銅メダルを獲得できたのも、強靭(きょうじん)な肉体と、タフな精神力があったからに他ならない。松田は競技への取り組み方について、こう振り返る。
「僕自身は常に自分の限界に挑戦して、競技に取り組んでいたので、どんなにきついことや苦しいことでも、とにかく向かっていく姿勢を持っていたいと思っていました。そうでなければ結果も出せないと考えていましたね」
自身の限界に挑戦しながらも、競技に支障が出るケガは少なかった。それは、久世コーチが「故障の少ない体にしよう」と、幼い松田にケアの重要性をしっかりと意識づけてきたからでもあった。こうした肉体面、精神面の強さがあったからこそ、松田は長年トップレベルに留まり続けることができたのだ。