松田丈志「苦しい思い出は自分の誇り」 現役引退会見 一問一答

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久世コーチ「松田は夢を持たせてくれた」

久世コーチは「夢を持たせてくれた」と、松田との出会いを感謝した 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

――久世コーチ、28年間指導してきて松田選手はどういう選手だったか?

久世 28年ですから一言では言えないですね。あまり考えたことはないのですが、常に夢を持たせてくれた、そういう青年に出会えたことをうれしく思います。

――3大会連続で五輪でメダルを獲得した松田選手の強さの秘密はどこにあったのか?

久世 いろいろな選手がいますけど、その中でも強いなと思うのは、絶対にマイナス面に目をやらない、マイナスなことを考えない、ということですね。プラス思考で考えることは2人ともやっていたことなので、そういう面でのやりがいはすごくありましたし、長くやってこられた理由だと思います。4×200メートルリレーで他の選手も見たときに、3人はマイナス面を言うんだなと。松田は言わない。そういうところが強いんだなと、あらためてこの間のリオ五輪の練習で感じました。

 初めて会ったときは、まだ松田は4歳でした。そんなに強い選手でもないし、何を教えていけばいいのかなと考えたときに、あいさつや返事や礼儀などを教えていって、強くなったときに、どこへ行ってもあとは練習だけやれば大丈夫というふうに、いつでも羽ばたけるように小さいころから指導していました。あとは、故障のない体にしようと思ったのも小さいときです。故障がなかったら大きい試合に出ても、そういう心配をしなくていい。小さいときからそういうことを植えつけられたのは、聞く耳を持っていた松田の強さがあったからだと思っています。

――久世コーチは「マイナスに考えない」と言っているが、松田選手はどう考えている?

松田 僕自身は常に自分の限界に挑戦して、競技人生に取り組んでいたので、どんなにきついことや苦しいことでもとにかく向かっていく姿勢を持っていたいと思っていました。そうでなければ、結果も出せないと思っていたので、常に意識していましたし、今回のリオでのリレーも、そういうことを少しでも次の世代の選手に伝えられたかなと思っています。

――久世コーチ、松田選手とのエピソードで一番印象に残っている思い出は?

久世 五輪に出るというのは自分たちの一番の夢だったので、それも印象に残っているんですけど、小学生で初めて県外の試合に出たとき、決勝に残ることは並大抵のことではなかったんですね。ただ、8番でも賞状をもらえたことがありました。普通、賞状は3番までしかくれないんですよ。でもその沖縄の大会は、8番までくれるという粋な計らいをしてくれた。そのとき、松田はすごい笑顔だったんですね。賞状をもらえることでこんなに笑顔になるんだと思って、そういう笑顔に何度も出会いたいなと思ったのが、こうして28年も続けられた理由かなと思います。

――松田選手、今でもそのときのことは覚えているか?

松田 沖縄に行って、飛行機に乗って行くのがうれしかったんですね。賞状をいただいて、それだけじゃないですが、少しずつ小さな自信を積み重ねていって、コーチもよく「あんたならやれる」と励ましてくれましたし、頑張ったらできるかもしれないというチャレンジをずっと続けてきて、ここまで来られたのかなと思います。

「心が動かされるものを見つけたい」

これからの選手たちには「強いトビウオジャパンを作ってほしい」と、期待を寄せた 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

――4月に引退した北島選手を指導していた平井(伯昌)コーチは「北島ロスになる」と話していた。久世コーチは「松田ロス」になりそうか?

久世 それは分からないですね。ここまで2人で長くやれたというのは日本水泳界の歴史上あまり例にないと思うし、世界を見渡しても同じコーチと選手で28年間もやったというのはほとんどないと思います。だから松田が歴史を作ってくれたような気がするし、夢を持てばこんなにやれるんだよというのを示してくれたので、今後もいろいろな大会がありますけど、そういう中で松田を目標としてくれる人が出てきてくれたらいいなと思います。

――一番楽しかったエピソードは何か?

松田 僕たちは地方から出てきて、二人三脚でやってきました。北京もコーチにメダルをかけたし、ロンドンのときもかけたと思うんですけど、今回のリオは4月以降、江原(騎士)と小堀(勇氣)と一緒にやって、彼らと3カ月ちょっと一緒に過ごす中で、コーチの指導に彼らも心が動かされたのか、最後のほうは「僕たちも久世コーチにメダルをかけてやりたい」と言っていました。二人三脚でやるというのは孤独との戦いでもあったので大変な部分はあったんですけど、最後に普段の練習から心を1つにして戦う仲間ができて、それをコーチと味わえたことは良い思い出ができたと思います。

久世 アテネ五輪は何も分からずに入っていって、五輪は結果を出さないとこんなにも居心地が悪いんだなと教えてもらいました。だからすぐに北京は絶対にメダルを取ると目標を立てて、北京で結果を出した。そして今度は(マイケル・)フェルプスを倒すという目標でロンドン五輪に出て、勝てなかったけど、メドレーリレーも出て銀メダルを取った。リオでも松田だけじゃなく、3人を見ることができて、そして最後は1つになれたのがうれしかったですね。

――今後の選手たちに期待することは?

松田 僕自身も強い先輩たちを見て、「ああいう選手になりたい。世界で結果を出せる選手になりたい」と思ってやってきました。そのためにはどうすればいいのか考えていくのが、競技者の競技生活だと思うんですけど、これからの選手たちには競技人生をまっとうしてほしいと思いますし、強いトビウオジャパンというものをこれからも作ってほしい。僕も一人の先輩として応援したいと思っています。

――今後、ご自身でやってみたいことは?

松田 これだけ長い時間、水泳に取り組んできて、たくさんの応援もあったし、コーチが支えてくれたこともありますけど、一番は自分自身がもっと強くなりたい、もっと速くなりたいという思いがあったからこそ、やってこられたと思っています。これから先、それに代わるものがあるかは分からないんですけど、逆に考えればこれまで水泳しかやってこなかったので、自分が本当に心動かされるものを見つけていきたいと思います。その中でも、僕は水泳に育てられたわけですから、水泳を広めていくことをやっていきたいと思いますし、今日で久世コーチとは、選手とコーチとしての付き合いは終わりますが、コーチと僕が培ってきた、地方から世界で戦っていくことだったり、何もないところから作り出していくことなんかを伝えていきたい。僕とコーチにしか伝えられないことがあると思っているので、これからもコーチと水泳の普及だったり、強化をしていきたいと思っています。

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