バルセロナに届いた何よりの吉報 代表でも輝きを放った2人のエース

メッシ以上のインパクトを残したネイマール

ブラジル史上初の金メダル獲得を果たしたネイマール。キャプテンとしての重責に耐え、見事にその役割を果たした 【写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ】

 ネイマールはさらに強烈なインパクトを残した。

 これまでバルセロナでは不安定なパフォーマンスが続いてきた彼は、ブラジル史上初の金メダル獲得という重責を担い、キャプテンとして母国開催の五輪に臨んだ。

 ブラジルサッカー連盟はコパ・アメリカ・センテナリオへの招集を断念してまで、ネイマールに五輪の出場を優先させた。ブラジルサッカー界に唯一欠けていた五輪のタイトルは、それほどまでに重要だったからだ。

 格下の南アフリカ、イラク相手にスコアレスドローに終わったグループリーグでは、ブラジル女子サッカー界のスター、マルタとの比較を用いた批判に耐えなければならなかった。だが、その後チームが調子を上げるにつれ、ネイマールはブラジルの顔としてチームをけん引。ドイツとの決勝ではパーフェクトな弾道の直接FKを決めただけでなく、母国に悲願のタイトルをもたらしたPK戦でのラストキッカーも務めた。

五輪を通して身に付けた強さをいかんなく発揮

バルセロナにとって、2人のエースの活躍は何よりの朗報だったに違いない 【写真:ロイター/アフロ】

 アルゼンチンと同様にブラジルでも、コパ・アメリカ・センテナリオ後に監督交代が行われた。29年ぶりのグループステージ敗退に終わった同大会に加え、W杯予選でも結果、プレー内容ともに振るわなかったドゥンガ。そのドゥンガの解任後、新監督に就任したのは長らくブラジル国内における最高の監督と称されてきたチッチだった。

 チッチは9月1日、6日のW杯予選に多くの五輪メンバーを招集した。その初陣となったエクアドル戦では高地キトでのアウェー戦という厳しい環境の下、3−0という最高の結果を持ち帰ることに成功した。特に後半のプレーレベルは非常に高く、ネイマールは他の誰よりも際立った輝きを発していた。

 五輪を通して自信と精神的な強さを身に付けたネイマールの成長ぶりは、この試合でもはっきりと見て取れた。この日の彼は久々に個人技を駆使した仕掛けのプレーを積極的に繰り返していた。

 足の付け根を痛めたメッシは6日のベネズエラ戦(2−2)を前にバルセロナへ戻ったが、ネイマールは続くコロンビア戦でも1ゴール1アシストを記録する活躍でブラジルの2−1の勝利に貢献した。

 それはバルセロナにとって、大西洋の向こう側から届いた何よりの朗報だった。

(翻訳:工藤拓)

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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