バルセロナに届いた何よりの吉報 代表でも輝きを放った2人のエース

メッシ、ネイマールがW杯予選で輝かしい活躍を見せる

代表引退を表明したメッシだったが、多くのアルゼンチン国民の声に心を動かされ復帰を決めた 【写真:ロイター/アフロ】

 チャンピオンズリーグ(CL)のグループリーグ初戦を直前に控えたタイミングで、大西洋の向こう側からバルセロナに朗報が届いた。ワールドカップ(W杯)南米予選に招集されていたアルゼンチン代表のリオネル・メッシとブラジル代表のネイマールが、そろって輝かしい活躍を見せたのだ。

 ほんの2カ月前、メッシはバルセロナの人々を大いに心配させていた。6月3日から26日(現地時間)まで米国で行われたコパ・アメリカ・センテナリオの決勝で、PK戦の末にチリに敗れたショックにより、公の場で代表を引退する意思を表明したからだ。

 だが実際は、その悲しみも長くは続かなかった。これまでメッシに対して批判的だった大多数のアルゼンチン国民が、勝利ではなく敗戦の直後に、彼の代表復帰を心から求めたことがその心を動かしたのである。

 とはいえ今夏のオフを通し、10年以上もフットボール界の頂点に立ち続けてきたメッシが、W杯出場を含めた代表での活動から身を引こうと真剣に考えたことに変わりはない。

マルティーノ監督が予期せぬ辞任。後任はバウサに

就任直後にバウサが行ったのはバルセロナへ出向き、メッシ、マスチェラーノと話し合いの場を持つことだった 【写真:ロイター/アフロ】

 また、メッシは他のチームメートと同様に、ヘラルド・マルティーノ前監督の予期せぬ辞任にも直面することになった。2年連続でコパ・アメリカの決勝に進出し、そのいずれもPK戦で敗れはしたが、90分間の戦いでは負けることのなかった監督が辞任することなど異例である。

 当初マルティーノはリオデジャネイロ五輪でも指揮を執る予定だった。だが、コパ・アメリカ・センテナリオを終えて米国から帰国すると、国内リーグの各クラブは代表へのサポートを取り下げ、本大会まで1カ月を切った段階で所属選手の五輪への参加を次々と拒否した。国外でプレーするスター選手たちの招集がさらに困難だったのは言うまでもない。

 マルティーノが辞意を表明したのは、五輪の出場を辞退することが真剣に協議されていた中でのことだ。その後アルゼンチンサッカー協会の運営を代行しているアルマンド・ペレスが一週間にわたって異例のキャスティングを行い、前サンパウロ監督で2度のコパ・リベルタドーレス優勝経験を持つエドガルド・バウサが新監督に就任した。

 就任間もなくバウサが行ったのは、バルセロナへ出向いてメッシ、ハビエル・マスチェラーノと話し合いの場を持つことだった。幸い2人は新監督の要請に応え、代表でのプレーを継続することを承諾。こうして迎えた新体制の初陣であるウルグアイとのW杯予選はこの上ない一戦となった。決勝点に加え、マティアス・コルホの股を抜いた突破など、持ち前のテクニックを存分に披露したメッシの活躍により1−0で勝利を収めたのだ。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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