日本陸上界に育つ規格外のスプリンター ウォルシュ・ジュリアンが描く4年後

平野貴也

テキサス合宿で得た急成長の感覚

――東野高校時代の恩師・武井智巳先生から、ストライドの大きいウォルシュ選手は400メートル走に向いているけど、実は100メートル走の方が好きだと聞きました。

 400メートルは、いつでもやめたいです(笑)。だって、つらくてレースを楽しく終われないんですよ。倒れるしかない! それなのに、400メートル走は何秒で走れば速いのかなんて、誰も知らない。100メートル走は、みんなが何秒で走るのかを注目しているし、注目度が全然違いますよね。だから、本当は100メートル走の方が好きですし、将来的に100メートルを走るという夢に関しても、まだ自分の可能性を捨てたくないと思っています。ただ、今の僕が一番戦えるのは400メートルなので、当面は種目を変えずに挑戦していきたいです。日本で400メートルのタイムがあまりよく知られていないのは、大きなレースに出ていないからだと思うんです。日本選手でみんなに見てもらえたのは(1992年バルセロナ五輪で決勝に進出した)高野進さんくらいですよね。だから、僕がもっと強くなって、もっと良い記録を出して、メディアに取り上げてもらえるようになって、400メートル走の面白さ、つらさを知ってもらいたいなと思っています。

――短距離に必要とされる最高速を高めるための練習で、ミニハードルを細かく刻むメニューが苦手だとも聞きました。

 あれは、できなかったですね。ハードルを踏んだり、蹴ったりしちゃいましたし、サボろうとして足が痛いと言ったこともありました(笑)。実は、大学に入ってからも、ウォーミングアップでは絶対にラダートレーニングをやらなくちゃいけないんですが、途中で嫌になってしまって、今はやっていません。でも、本当は嫌いな練習ほどやらなくちゃいけないんですよね。分かってはいるんですけど……。頑張ります……。

――五輪は4年単位で行われますが、ウォルシュ選手が本格的に競技に取り組んだのは4年前。ものすごい早さで成長していますよね。ご自身ではどう感じていますか?

 高校2年生になったとき、武井先生に400メートルを勧められてやってきました。でも、東洋大に入ったばかりの頃は、まだ言うほど速くなかったです。今回のマイルリレーのメンバーだった北川(貴理/順天堂大)選手とかが圧倒的に強くて、僕自身は五輪に出場できるようになると思っていませんでした。ただ、大学1年から2年にかけての冬、東洋大の米国・テキサス合宿に連れて行ってもらったんです。マイケル・ジョンソン選手(96年アトランタ、2000年シドニーで、400メートル2連覇)を教えていたクライド・ハートさんというコーチに教わってから、少しずつ走りが変わってきて、結果が出るようになりました。外国人のコーチに教えてもらうのは初めてだったのですが、あの合宿が、すごく生きていると思います。

――どんな練習をしたのですか?

 1000メートルを(スパイクではなく)シューズで最初は遅いタイムで走って、1回ごとに走る距離を短くして、ペースも速くしていくという練習です。1000メートルを走ったら、次はもう少し速いペースで900メートルを走るという感じ。どんどんきつくなっていきます。あとは、最初の200メートルを少しスピードを押さえたペースで走って、300メートル地点まで速度を上げて走るという練習もしました。微妙なペースの上げ下げをできるようになる練習で、最初は向こうで一緒にやった選手にまったくついていけなかったのですが、日を重ねるごとについていけるようになりました。周りの人たちにも「走りが変わってきたね」とよく言われましたし、実際にシーズンに入って走ってみたら、良いペースで最後まで走れるようになっていました。

「東京ではメダルが欲しいです!」

悔しい結果に終わった初の五輪。その視線が見据える先は4年後のメダル獲得だ 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

――ウォルシュ選手は、まだ大学2年生と若いですし、キャリアも4年と短いので成長力を期待しています。自己ベストも年々更新していますが、課題は?

 今のところは、練習をすればするだけ速くなっていく感じです。でも、満足はしていません。自己記録は更新できていますけれど、まだ僕のタイムでは世界では全然戦えないですから。来年には日本記録を更新したいですね。更新する自信はありますし、それぐらいで走らないと世界選手権でも戦えないと思います。ただ、将来的には、いつかタイムがなかなか伸びない時期も来ると思うので、そのときに諦めず、ちゃんとやっていけるかというところがポイントになると思います。具体的な課題は、まだ後半にしっかり走れていないので、前半でいかに力を使わずにスピードに乗れるようにするかというところですね。

――4年後の東京五輪は、どんな舞台にしたいですか?

 目指すところは東京五輪ですけれど、今から4年先と考えると長いですね。まずは、次の試合という気持ちで1つずつこなして、小さな目標やタイム、さっき話した日本記録更新などをクリアしていきたいです。それから、東京五輪の(代表選手が決まる)1年前から心の準備をして、今度は最高のパフォーマンスができたらいいなと思います。

 目標ですか? 今までもメダルを狙いたいとぼんやりとは思っていたんですけど、あのリレーの銀メダルを見たら、やっぱりメダルが欲しいです!

――(日本陸連・苅部俊二短距離部長から)おい、ウォルシュ。ちゃんとラダートレーニングやれよ!

 うわっ! いつから聞いていたんですか!?

   *   *   *

 インタビュー終了と同時に、臨席から声をかけて来た苅部短距離部長は、ニヤッと笑った。競技面の成長力だけでなく、普段の活動からも目を離せない選手なのだと思わせる場面で愉快だった。

 まだ、競技力の面では世界と伍するには至らない。しかし、自由奔放で気ままで、でも負けず嫌いで才能がある興味深い選手だ。高校時代の恩師である武井氏は「無理にやらせると陸上を嫌いになるかもしれない」と長い目で見て育てた。東洋大の土江寛裕コーチも同様に、先を見据えて指導している。

 未完の大器という言葉がよく似合う。初心者から五輪選手までの4年を経て、次の4年で彼はどのような進化を遂げるのだろうか、目が離せない。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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