輝けなかった日本長距離界の星 大迫傑がリオ惨敗から得た手応え
米国移住で狙った飛躍
1万をメートル終えた大迫(中央)の表情。米国移住の成果をリオ五輪で見せることは叶わなかった 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
大きな決断をしたのは、昨年の春だ。着々と力を付ける中、日清食品を退社してオレゴンに完全移住した。日本の長距離ランナーは、大学卒業後に実業団へ進むことが多く、大迫も例外ではなかった。ただ、実業団は、国内での注目度が高くて宣伝効果を見込める駅伝に力を入れるが、大迫はトラック種目を重視していることもあり、飛躍のきっかけを海外に求めた。
米国では数々のマラソン大会で優勝経験を持つアルベルト・サラザール氏が指導する「ナイキ・オレゴン・プロジェクト」に参加。リオ五輪の1万メートルで連覇を達成したモハメド・ファラー(イギリス)らが集う世界のエリート集団に入り刺激を受けてきた。
リオ五輪日本代表の最終選考会となった今年6月の日本選手権では、5000メートルと1万メートルでともに初優勝を飾って2冠を達成。勢いに乗って五輪での大化けを狙ったが、まだ世界の舞台では結果が伴わなかった。
「来年もトラックで勝負できる」
「マラソンのためではなく、1万メートルは1万メートルとして勝負するつもりで走っている。27分20秒から30秒くらいで走れるようにしたい」と話し、20年についても「マラソンは、将来的には見据えているけど、まずは僕自身が目指すべき5000メートル、1万メートルでの入賞をもう1回考えていきたい。(マラソンへの)移行の時期は、全然考えていない。シーズン毎に(状況は)変わってくる。もし、やるとしたら、徐々にハーフ(マラソン)を走りつつ移行していくと思う。(目標と公言してきた20年の東京五輪でのマラソンは)今後の僕の結果次第。その辺は、流れで」と明言は避けた。もっとトラックでの速さの変化、スピード勝負に手応えを得てからというところだろう。
初挑戦の五輪は、2種目で目標達成を逃す結果に終わったが、長い目で見たときの手応えはつかんでいるようだ。大迫は、視線を下げることなく「自分の進歩は着実に見えている。長距離では(まだ)通用しないという大まかな言い方はできるけど、全体的にタフになり、走りも精神力も強くなった。来年もトラックで勝負できると思っている」と力強く話した。
少しずつ、世界の駆け引きに対応できるようになりった実感はある。貴重な経験を積み、4年後に向けたギアチェンジを見据えて、大迫はまた次の一歩を踏み出す。