輝けなかった日本長距離界の星 大迫傑がリオ惨敗から得た手応え

平野貴也

米国移住で狙った飛躍

1万をメートル終えた大迫(中央)の表情。米国移住の成果をリオ五輪で見せることは叶わなかった 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 大迫は、2020年東京五輪のマラソンで金メダルを獲得するという大きな目標を掲げてきた。早稲田大学では、箱根駅伝などで活躍。1年次だった10年度に1区で区間賞を獲得し、18年ぶりの総合優勝を成し遂げた姿を覚えている方も多いだろう。3年次からは米オレゴン州に拠点を置いて活動。大学卒業後は日清食品に進み、14年9月に3000メートルの日本記録を15年ぶりに更新すると、15年7月には5000メートルで日本記録を塗り替えた。

 大きな決断をしたのは、昨年の春だ。着々と力を付ける中、日清食品を退社してオレゴンに完全移住した。日本の長距離ランナーは、大学卒業後に実業団へ進むことが多く、大迫も例外ではなかった。ただ、実業団は、国内での注目度が高くて宣伝効果を見込める駅伝に力を入れるが、大迫はトラック種目を重視していることもあり、飛躍のきっかけを海外に求めた。

 米国では数々のマラソン大会で優勝経験を持つアルベルト・サラザール氏が指導する「ナイキ・オレゴン・プロジェクト」に参加。リオ五輪の1万メートルで連覇を達成したモハメド・ファラー(イギリス)らが集う世界のエリート集団に入り刺激を受けてきた。

 リオ五輪日本代表の最終選考会となった今年6月の日本選手権では、5000メートルと1万メートルでともに初優勝を飾って2冠を達成。勢いに乗って五輪での大化けを狙ったが、まだ世界の舞台では結果が伴わなかった。

「来年もトラックで勝負できる」

 米国で鍛え、トラック種目でスピードを強化する。その先に見据えるのは、マラソンだ。ただし、大迫はまずトラックでの目標達成に焦点を絞っている。

「マラソンのためではなく、1万メートルは1万メートルとして勝負するつもりで走っている。27分20秒から30秒くらいで走れるようにしたい」と話し、20年についても「マラソンは、将来的には見据えているけど、まずは僕自身が目指すべき5000メートル、1万メートルでの入賞をもう1回考えていきたい。(マラソンへの)移行の時期は、全然考えていない。シーズン毎に(状況は)変わってくる。もし、やるとしたら、徐々にハーフ(マラソン)を走りつつ移行していくと思う。(目標と公言してきた20年の東京五輪でのマラソンは)今後の僕の結果次第。その辺は、流れで」と明言は避けた。もっとトラックでの速さの変化、スピード勝負に手応えを得てからというところだろう。

 初挑戦の五輪は、2種目で目標達成を逃す結果に終わったが、長い目で見たときの手応えはつかんでいるようだ。大迫は、視線を下げることなく「自分の進歩は着実に見えている。長距離では(まだ)通用しないという大まかな言い方はできるけど、全体的にタフになり、走りも精神力も強くなった。来年もトラックで勝負できると思っている」と力強く話した。

 少しずつ、世界の駆け引きに対応できるようになりった実感はある。貴重な経験を積み、4年後に向けたギアチェンジを見据えて、大迫はまた次の一歩を踏み出す。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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