育成型クラブとしての負けられない戦い J2・J3漫遊記 G大阪&C大阪U-23 前編
「育成のトップ」としてのC大阪U−23
C大阪U−23の大熊裕司監督。敗れたものの「ガンバさんとの差は、多少は縮まってきている」と語る 【宇都宮徹壱】
「やはりガンバさんには、技術に長けた選手が育成年代に多いですね。(ダービーの)前半のように待ち構えてプレーしてしまうと、相手の良さばかりが出てしまって、逆にわれわれの積み上げてきたものが発揮しにくくなる。それでも後半のように、攻守にわたってハードワークしていくことで、われわれの良さは出せたように思っています。確かに試合には敗れたし、育成年代ではなかなか太刀打ちできる関係ではなかった。それでもガンバさんとの差は、多少は縮まってきているという実感もあります」
ここで気になるのが、ライバルとのU−23の位置づけの違いである。G大阪は現状ではU−23を「純然たるセカンドチーム」と定義しており、トレーニングは基本的にトップチームと一緒に行っている。ではC大阪におけるU−23の位置づけは、どのようなものなのだろうか?
「ウチのU−23は『育成のトップ』という考え方でやっています。ですので、練習もトップチームとはまったく別です。斧澤(隼輝)と森下(怜哉)については、今年高3になりますが、トップに近いところにいるので今はU−23のほうで活動しています。逆に丸岡(満)とか澤上のように、普段はトップにいる選手がぽっと入ってきますから、連携面で多少はスムーズさに欠けるところも出てくる。それでも、これまで積み上げてきたものができているか、よりよいゲーム環境の中でプレーできているかを重視しています」
「育成のトップ」であり、同時にU−18とトップチームをつなぐ役割も兼ねているC大阪のU−23。長年、アカデミーダイレクターの重責を担ってきた大熊にとり、このカテゴリーの新設は願ってもないことであったと言う。
「U−18からトップに上がってきた選手の場合、最初の1〜2年はなかなか試合に出られないわけです。そこを打破するには、『しっかりとしたゲーム環境を与えることが一番』という結論に達しました。今回、J3でU−23チームの加入が認められることになったとき、真っ先に手をあげてくれたクラブには本当に感謝しています。J3という環境で、これまで積み上げてきたものを具現化して、トップによりよい選手を送り出すこと。そして最終的には、トップの選手がアカデミー出身の選手たちで構成されることが、われわれの目的です」
4人のU−19日本代表を抱えるG大阪U−23
G大阪U−23の實好礼忠監督。今の仕事にやりがいを感じながらも「責任重大」と気を引き締める 【宇都宮徹壱】
「立ち上がったばかりのチームですが、今ある環境でいかに選手を成長させていくかがテーマです。トップチームに選手を送り込むことももちろんですが、現在はU−19の日本代表が4人います。彼らの才能を伸ばしながら、ほかの若い選手もアンダー世代の代表に送り込みたい。その意味でも、やりがいがあると同時に責任重大だと思っています」
G大阪といえば、昔も今も若きタレントの宝庫である。最近ではオランダの名門、PSVアイントホーフェンが堂安にオファーをしていたことが話題になった(結局、当人は残留を選択)。そんな彼らにとって、J3という舞台に不満を持つ選手も出てくるのではないか、という不安もよぎる。
「おっしゃるとおり、トップでプレーできずに悔しい思いをしている選手がいるのは事実です。ですから最初の頃は、彼らのモチベーションを持たせることも自分の仕事だと思っていました。でも最近は、ほとんどの選手が『ここでしっかり結果を出して、トップに行ってやろう』という気持ちでやってくれています。それにJ3という試合環境は、若い選手のためになっているとも思います。他のチームはJ2を目指してトレーニングしていますし、何といっても公式戦ゆえの緊張感がありますから。セレッソさんとのダービーでも、ブーイングをパワーに変える経験ができましたし(笑)」
95年加入の實好は、G大阪ユース一期生の宮本恒靖と同期。年齢的には大学サッカー出身の實好が上だが、その後アカデミー出身者がチームの中核を占めるようになり、宮本は今季からG大阪ユースの監督に就任した。實好自身、現役時代はアカデミーへの憧れはあったのだろうか。最後に尋ねてみると、苦笑交じりにこんな答えが返ってきた。
「憧れですか? なくはないですね。あの環境で、もっと『考える選手』になっていれば、もっといい選手になれたかもしれない。ただ、今のユースの選手と一緒に練習すると、まだまだ僕のほうがミスは少ないですよ(笑)。それに、ただうまいだけではいい選手になれませんし。僕自身も30歳を前に大きなけがをして、いろいろ勉強したり、いろいろな人とサッカーについて語り合ったりして、見える風景が変わりました。そうした気付きを、若い選手たちにも伝えていければと思っています」
<後編につづく。文中敬称略>