政治に翻弄されたウクライナ代表FW ユーロ本大会で英雄に返り咲けるか

代表チームのための決断だったが……

ドニプロではいい時代も過ごしたが、最後は給料の未払いもあり、セレズニョフ(右)は追い出されたも同然だった 【写真:ロイター/アフロ】

 実は、セレズニョフはドニプロから追い出されたも同然だった。ドニプロでは、オーナーのイゴール・コロモイスキーがサッカーへの興味を失い、大幅なコストカットに着手。セレズニョフも100万ユーロ(約1億2000万円)以上の給料未払いに悩まされていたのだ。それは周知の事実だったが、彼に同情する者はいなかった。そして、セレズニョフが移籍の理由として、代表チームでの活躍を挙げても焼け石に水だった。

 移籍について、セレズニョフはこう話していた。

「クバンでプレーすることで、いい状態でユーロ本大会を迎えられるはずだ。ロシア・プレミアリーグはレベルの高い試合が多い。だから素晴らしい機会だ。私がクバンの力となり、クバンも私に活躍の機会を提供してくれる。それに加え、契約を結んだことで家族の生活も保障される。

 ウクライナでは否定的な反応が起きているが、私は一度も政治とスポーツを混同したことがない。私が言えるのはそれだけだ。私を裏切り者と呼ぶ人がいるかもしれない。しかし、私は誰も裏切ってはいない。むしろ、私は誰に対しても誠実だ。私はサッカーをするために、仕事をするためにロシアに来た。将来的にウクライナ代表の力になるためにね」

 ウクライナ代表のミハイル・フォメンコ監督が3月の親善試合でセレズニョフを招集しなかった時、誰もが彼のユーロ本大会への望みは消えたと思っただろう。ウクライナ・サッカー連盟の広報は「コーチ陣による判断だ。プレー面を考えた判断であり、政治的背景は一切ない」と断言した。だが、そうでないことは、誰もが知っていた。代表落選について聞かれたセレズニョフは、「実力不足だって言うんだろ。もう、私にはどうすることもできないよ」と肩を落とした。

ロシアクラブを退団、シャフタールへ

セレズニョフはユーロ本大会のメンバーに滑り込んだ。再び母国の英雄に返り咲くことはできるだろうか 【Getty Images】

 そして、ユーロ本大会に向けた代表候補メンバーが発表された時も、そこにセレズニョフの名前はなかった。しかし、そこから状況は目まぐるしく変化する。5月7日、クバンが残留争いのライバルであるモルドビアとのリーグ戦に1−2で敗れると、突然セレズニョフは同クラブを退団した。

 クラブ首脳陣との確執が報じられ、セレズニョフの代理人はフロントが同選手を戦犯に仕立てたと主張。それを裏付ける証拠はなかったが、どちらにせよ、セレズニョフの契約は解消され、クラブも選手も詳しい情報を明かさなかった。ただ言えるのは、セレズニョフがクバンで期待外れに終わったということだ。低調なプレーが続き、流れの中からは1得点にとどまった(そのほかにPKから2得点)。クバンのファンも、最後まで彼を受け入れなかった。辛らつなことに、彼らはセレズニョフをクラブ歴代最低選手に選んだのだ。彼が退団を決意した気持ちも少し理解できるはずだ。

 クバンはその後、入れ替え戦に敗れて2部への降格が決定。セレズニョフはというと、5月14日にウクライナの強豪、シャフタール・ドネツクと契約。すると再び代表チームに招集され、ユーロ本大会メンバーの23名に選ばれたのだ。

「ここ数カ月、本当にいろいろなことがあった。たくさん批判も浴びた。しかし、私が優先するのは、いつだってサッカーだ。もし代表監督が私を呼んだのなら、それは私が代表選手にふさわしいからだ。私はチームに貢献できると確信している」と、念願の代表復帰を果たしたセレズニョフは力強く語った。

 何という劇的なストーリーだろう。いわば政治に翻弄(ほんろう)された形のセレズニョフだが、こういう物語にはハッピーエンドが付き物だ。スタメンに定着したストライカーが、好プレーを披露して本大会でゴールを決め、ウクライナ代表の躍進に貢献する――。そうなれば、彼も再び英雄に返り咲けるはずだ。

(翻訳:田島大/フットメディア)

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著者プロフィール

1961年2月13日ウィーン生まれ。セルビア国籍。81年からフリーのスポーツジャーナリスト(主にサッカー)として活動を始め、現在は主にヨーロッパの新聞や雑誌などで活躍中。『WORLD SOCCER』(イングランド)、『SID-Sport-Informations-Dienst』(ドイツ)、日本の『WORLD SOCCER DIGEST』など活躍の場は多岐にわたる

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