エアレース室屋が世界の舞台に昇るまで “マネーの虎”も動かす情熱と行動力
キーマンを引き寄せる行動力
「たまたま番組に『エアロバティックスをやりたい』という可愛げな女子大生が出てきたんです。『免許は持ってないですけど、これから取ってやります』と。そしたら600万円を手にして、“マネー成立”したんです(笑)。『えー!?』と思って。だったら、うちのほうが免許も機体もあるしいいんじゃないかと。
次の日、堀之内社長のところに電話をしました。そしたら『とりあえず(会社のある)浜松まで来るか』と言われて。すぐ行っていろいろ説明したんですけど、正直に『とにかく飛びたい、けどお金が無いんでなんとかしてください』と話したら、『足りない部分は補助するからなんとか続けて頑張れ』と、支援してもらえることになりました」
2年後、チームは支援無しで立ち行くようになり、最大のピンチを脱する。
少しずつ軌道に乗り始め、実績を重ねていった06年のある時、室屋の元にさらなる出会いが待っていた。
その相手とは「エアレース界のゴッドファーザー」とも呼ばれ、レッドブル・エアレースの創設に深く関わった名パイロット、ピーター・ベゼネイ。日本で行うフライトイベントのコーディネーターとして、空域の調整や認可取りといった事務仕事も請け負っていた室屋に、白羽の矢を立てたのだ。
「裏方業務の依頼だったのですが、ベゼネイがエアショーをやるというので『5分だけ飛ばせてくれない?』と話を持ち込みました。イベントを用意するのはこちらなので、勝手に突っ込んだんです。一応OKはもらいましたけど、やや無理矢理(笑)。とにかくフライトを見てもらう機会を作りだして」
ベゼネイは、当時日本でのセールス活動を本格化させつつあったレッドブル・ジャパンへ、絶好のタイミングでこの強引な日本人を推薦する。翌年にはレッドブルのスポンサードが決定し、訓練にうちこむ環境を整えることができた。
“虎”からの支援と、“ゴッドファーザー”からの推薦。その強運ぶりには、室屋自身も「奇遇なチャンスには恵まれているかな」と笑う。しかし、少ないチャンスを手繰り寄せ結果をつかんできたのは、室屋のずば抜けた行動力、そしてそれを生み出す「操縦技術世界一」への情熱あってこそだろう。
1日3分間の努力
いくつもの困難を乗り越え、ここまでたどり着けた理由を本人はどう考えているのか。
「18歳からもう25年もやっているんですよ。それだけあれば誰でも飛べるようになるわけで、特殊な才能なんか無いと思います。ただ、他の人が諦めて消えていくなかで、同じことをずっとやっているのは事実です」
エアレースのパイロットとして、そして日本スカイスポーツ界の第一人者として。室屋義秀の挑戦は大空のごとくどこまでも続いていく。
(取材・文:藤田大豪/スポーツナビ)