エアレース室屋が世界の舞台に昇るまで “マネーの虎”も動かす情熱と行動力

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日本人唯一のエアレースパイロット

レッドブル・エアレースは3月〜10月まで、全8戦で争われる。参戦しているパイロットは、エアロバティックの世界選手権で上位に入るトップ選手ばかりだ 【(C)Taro Imahara/PATHFINDER】

 6月4、5日に千葉県・幕張海浜公園で行われるレッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ第3戦の千葉大会。日本初上陸となった昨年は2日間で12万人の観客を集めて話題となったエアレースだが、すでに欧米では人気スポーツとしての地位を固めつつある。

 エアレースとは、小型飛行機を操ってコース上のパイロン(円すい形のゲート)を通過しタイムを競う「究極の三次元モータースポーツ」とも呼ばれる競技だ。その人気は世界ラリー選手権(WRC)やダカール・ラリーといった有名レースを凌ぎ、F1、motoGPに次ぐとも言われている。

 世界屈指のエアレース・シリーズに日本人唯一のパイロットとして参戦しているのが室屋義秀だ。エアレースをはじめスカイスポーツが定着しているとは言い難い日本から、なぜこのようなトップパイロットが生まれたのだろうか。

 日本におけるエアロバティックス(曲技飛行)の第一人者に、これまでの歩みを尋ねると、その道のりは運命的な出会いと、困難をはねのける情熱に彩られていた。

29歳にして3000万円の借金

コックピットで厳しい表情を浮かべる室屋(中央)。パイロットのコンディションはもちろん、エンジニアらによる調整も試合結果を大きく左右する 【(C)Taro Imahara/PATHFINDER】

 幼いころよりパイロットを志していた室屋は、大学在学中に飛行機の操縦免許を取得。22歳の時にエアロバティックスのワールドカップを観戦して衝撃を受け、同じ世界に飛び込むことを決意する。掲げた目標は「操縦技術世界一」。卒業後もグライダーの教官として飛行訓練を続けながら、限られた時間とお金を費やしては渡米を繰り返し、曲技飛行の訓練を続けていた。

 そして2002年、29歳になった室屋は荒海に飛び出す。「お金を貯めちゃ訓練し、というのを繰り返していても、にっちもさっちもいかないわけです。ただ訓練するだけで、だんだん歳も食ってきて、生活も含めてどうにかしなきゃいけない」と、行き詰った状況を打破すべく、自身のエアショーチームを立ち上げたのだ。

 最上位クラスを目指すには相応の機体が必要となる。そこで室屋は、借金をして高性能な機体の購入に踏み切った。その額、3000万円。

「飛行機さえあればなんとかなる、飛行機があればスポンサーがつくんじゃないか、みたいな幻想を抱いていました」

 しかし展望は開けなかった。29歳にして多額の借金を抱え、真新しい機体の横で苦しんでいた当時を、室屋は「本当に際どかった」と振り返る。

「とりあえず自分で始めてみたんですけど、誰も成し得たことがない、前例のない世界でそんなにうまくいくわけない。でも飛行機も買っちゃったし、困り果てていました」

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