東京のクラブであり続けることの難しさ J2・J3漫遊記 東京ヴェルディ編

宇都宮徹壱

「まずは山を降りましょう」という発想

強化部長の山本佳津氏。07年から学校巡回をスタートさせ、「年間1万人への指導」という目標を3年で達成した 【宇都宮徹壱】

「ヴェルディの強みは何か」と問われれば、多くの人は「育成」と答えるだろう。ヴェルディは読売クラブの時代から育成に力を入れており、トップチームも使用している『よみうりランド』からは、これまで幾多のJリーガーや日本代表クラスの選手たちが輩出された。そうした伝統と実績の優位性は、今も保たれているのだろうか?

 強化部長の山本佳津は、読売ユース出身の49歳。社会人となってからは、アマチュアとしてサッカーの世界とつながりは保っていたものの、縁あって05年にヴェルディで働くこととなり、以来ずっと育成と普及に関わってきた。そんな山本に、強化部長のポジションから見たクラブの現状について尋ねてみた。

「今はFC東京以外にもライバルがいますから、決して安泰というわけではないですね。ウチにアドバンテージがあるとすれば、FC東京が持っていないジュニアがあること。テクニックを重視した確固たるスタイルがあること。あとは女子(ベレーザと下部組織のメニーナ)からも発信できることですね。もっとも子供たちの親御さんは、ヴェルディの強かった時代は知っているけれど、FC東京から世界に羽ばたいていった選手がいることを重視しているみたいです。加えて、J1とJ2の情報格差というものもありますし(苦笑)」

 やはり育成・普及の現場でも、東京におけるヴェルディの優位性は少なからず揺らいでいるようだ。山本自身、古巣に戻ってからそうした危機感を抱くようになり、新たな活動を模索するようになる。そのひとつの答えが、07年から始めた学校巡回であった。

「僕らがサッカーで発信できることは何か? それは、アイデアをもってチャレンジすることの素晴らしさ、その結果として得られる達成感といったものを子供たちに伝えることだと思ったんです。最初は多摩市にある3つの小学校で、体育の時間をお借りして始めたんですけれど、それから一気に口コミが広まっていきましたね。今では多摩だけでなく、ホームタウンをはじめとする都内全域の小学校にも巡回しています」

 スタート時、「年間1万人への指導」を目指していた学校循環は、わずか3年で目標を達成。最初は6〜7人の普及スタッフで回していたが、1万人を突破してからは育成や選手にも「負担にならない程度に」(山本)手伝ってもらっているという。この活動を始めるにあたり、山本がスローガンとして掲げたのは「まずは山を降りましょう」であった。

「ヴェルディに戻ったときに感じたのが、意外と地域の人たちがこっちを向いてくれていないことでした。ウチが強いときは、みんなが山を登って練習を見に来てくれたし(編注:練習場があるよみうりランドは丘陵地帯にある)、ヴェルディのサッカースクールに入るために長い行列もできました。でも今は時代が違う。僕らが山を降りて、地域の人たちのところまで足を伸ばしていかないと。学校巡回を1回実施すれば、それで30〜100人の子供たちとその親御さんにヴェルディのことを知ってもらえる。東京という土地で、僕らのことを知ってもらうためには、そういう努力が必要だと思っています」

われわれにできるのは「タッチポイントを増やす」こと

ホームタウングループリーダーの奈良彬氏。「シーズンチケットでは八王子と世田谷のお客さんが多い」とのこと 【宇都宮徹壱】

 ここであらためて東京都の地図に、Jクラブの勢力図を重ねながら俯瞰してみることにしたい。現在、FC東京に出資しているのは、調布、三鷹、小金井、西東京、府中、小平の6市。ヴェルディのホームタウン活動や普及にとって、これらの市は本拠地である味の素スタジアムを取り囲んでいるにも関わらず事実上アンタッチャブルとなっている。一方、ヴェルディを応援してくれているのは、稲城、日野、多摩、立川の4市。とりわけ稲城と多摩は地理的にクラブハウスにもっとも近く、市長が熱心に応援してくれているそうだ。教えてくれたのは、ファンデベロップメント部ホームタウングループリーダーの奈良彬33歳。少年時代からヴェルディのファンで、「大好きなクラブで働きたい」との想いから10年に社員となった。

「関係性というところではこの4市の存在が大きいですが、シーズンチケットの枚数だと八王子と世田谷のお客さんが多いです。世田谷に関しては、駒沢でホームゲームを何試合か行っていることと、京王線でアクセスしやすいことが大きいと思います。施設面に関していえば、稲城長峰スポーツ広場をスポンサーと共同で施設管理していまして、多摩市でもスポーツによる街づくりをしようという協定を結び、廃校になった学校の施設を使った南豊ヶ丘フィールドが完成しました。昨年の1月には、板橋区ともスポーツの普及や地域の活性化を進めることを目的として、連携協定の締結を行いました」

 こうしたうれしい反応がある反面、まだまだ「東京の2番手」という厳しい現状は歴然として存在する。奈良自身、そうした事実を十分に認識ながら「今できることを愚直に続けるしかない」と腹をくくっている。そうした想いはスタッフのみならず、選手の間でも共有されているようだ。

「東京で活動することに、難しさを感じる部分は確かにありますね。J2だといっそう難しさがあります。それに23区内に住んでいる人からすると『調布は遠い』というイメージがあるようです(苦笑)。そんな中、われわれにできることは何かといえば、とにかく『タッチポイントを増やす』こと。学校巡回もそうですし、ホームゲームでのファンサービスもそう。試合に出ていない選手は、勝っても負けてもお帰りになるお客さんにハイタッチするようにしています。このところ勝てない試合が続いていますが、それでも選手たちは率先してファンとの交流をやってくれているのはありがたいですね」

 ヴェルディが東京に移転してから、16年の歳月が流れた。06年の降格後、一度はJ1復帰を果たしたものの(08年)、1シーズンで再び降格してからはJ2暮らしが続いている。コンスタントに代表選手を輩出し、今季はACL(AFCチャンピオンズリーグ)を戦ったFC東京のメディア露出と比べると、ヴェルディの現状はひたすら地味なものに映る。とはいえ、前代未聞のホームタウン移転も、かつては考えられなかった地道なホームタウン活動も、いずれもクラブが生き残るためには必要不可欠なものであった。ヴェルディの16年間の苦闘は、すなわち「東京のクラブであり続ける」ことの難しさを示す証左であったと言えよう。

<つづく。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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